象牙について  
by 渓流詩人
  グリップに象牙を使った洋剣(パティーナ状態)
象牙の剣

 <象 牙>

 化学組成…Ca5(PO4)3(OH)および有機物
 硬度…2.5
 結晶系…非晶質
 比重…1.90
 屈折率…1.53-1.54
 複屈折量…適用できない
 光沢…無光沢〜脂肪状



【象牙とは】
 象牙(アイボリー)は、アフリカ象やインド象の切歯(門歯)
 のこと。
 厳密にはIvoryとは、動物の牙・歯・角などをも含む。
 海外においては「象牙質」を指す場合にIvoryと表現する。
 しかし、日本語で表記する象牙とは、まさしくアイボリーの中
 でも象の門歯のことを指す。

 かつて、日本は最大の象牙輸入国だった。
 日本における象牙利用の歴史は古く、正倉院の御物(ぎょぶつ=
 天皇の所持品)の中の工芸品の素材としても用いられており、
 珊瑚(サンゴ)や鼈甲(ベツコウ)に並んで天皇や貴族たちに珍重
 されたことがうかがい知れる。
 象牙の大きな特徴は、「ロゼット模様」と呼ばれる縞目模様と、
 光沢にある。薄く細工されているところは、光の加減によっては
 透き通ったように見える事があが、人工的な練り物にはこれがない。
 使い込まれることにより経年変化した象牙は飴色に変化し、
 これをパティーナと呼ぶ。
 パティーナは熟練とか熟成という意味で、アンティークの世界では
 古色漂う鉄錆のこともパティーナと呼ぶ。
 象牙は、アフリカゾウのものが最高級とされ「グリーンアイボリー」
 と俗称されている。
 また、牙の先へいくほど、牙の中心部へいくほど高価なものとなる。
 日本においては先の中心部を「芯持ち」と呼び、最高級とされる。


  正倉院御物『こうげこんげばちるのきし』
  (棊子とは碁石のこと。ばちるとは象牙の
  表面を染料で染めたのち、はね彫りを施し、
  象牙の地色で文様を表す技法を指す。
  描かれているのは『花喰鳥』(2005年正倉院展)


【日本における象牙の歴史】
 平安時代までの象牙の主たる輸入先は中国・東南アジアだった。
 だが、古代には中国南部にかなりの頭数がいたとされている中国の
 ゾウも唐時代にはほぼ絶滅したといわれており、平安〜室町時代に
 おいては、主に東南アジアから中国を経由して日本に入ってくるルート
 が用いられたとの説がある。
 安土桃山に続く江戸時代においては、象牙工芸技術は高度な発展を
 とげた。
 また、この背景には、印籠(いんろう=薬入れ)や根付(ねつけ=
 たばこ入れや印籠の下げ止め)に対する武士階級や裕福な商人階級の
 多くの需要があったことが考えられ、工芸品としての優品も多く現存する。


    象牙を使った印籠と根付
 
 明治時代以降はそれまでの花押(かおう=漢字を崩した証明サイン。
 武家や公家がオリジナルの意匠をこらし、署名の代わりに手書きした)
 に替わり、署名の後に印鑑を押印するのが一般的となった。これに伴い、
 高級印材として象牙の輸入量が大幅に増大した。
 花押は、現在でも政府閣議の閣僚署名には公的に使用されているが、
 一般的にはクレジットカードの署名や企業内の稟議書、伝統芸能の誓詞等、
 使用例は稀である。


  花押。これはかつて用いていた
  私の花押。花押は写し取られな
  いように何年か毎に変える必要
  があり、現在は別な花押を用い
  ている。明治以降に印鑑文化が
  一般化するまでは、花押が公式
  文書の正真性を証明した。


  象牙の印鑑
 
 さらに、この明治期、三味線のバチや糸巻の高級品に象牙が好んで使用
 されていた。
 また、室内遊具であるビリヤードのキューのフェルール(先角)やボール
 にも象牙が使用された。
 大正・昭和に入ると、西欧のパイプ喫煙文化が日本に入り、象牙工芸品の
 代表はパイプとなった。
 戦後の高度成長期(1955〜74)には、労働力が都市部や工業地帯に集約
 され、都市人口の増加に伴いサラリーマンが増えた。高額商品の分割払い
 (ローン)購入が1960年代から普及し始め、象牙製の印鑑を実印とする
 ための需要が爆発的に伸びた。日本の高度経済成長は、輸入された象牙
 消費の9割が印鑑に加工される時代をもたらした。


【象牙と密猟問題】
 象牙は如何にして手に入れるのか。
 答えは明白だ。
 象牙を手に入れるのには、生きているゾウを銃で撃ち殺すのだ。


  アフリカゾウ
 
 世界中の象牙の需要をまかなうため、かつて西欧列強はアフリカゾウを
 乱獲した。
 その殺されたゾウの象牙は実用品として使用されたのはごく一部で、
 多くは奢侈(しゃし=度を越してぜいたくをおごること)の為に使われた。
 「奢(おご)る者は心嘗(つね)に貧し」とはよく言ったもので、贅沢を好む者は、
 常に心に不満がある。象牙の実用品素材としての優れた面を求めたのでなく、
 希少価値からくる高級品としての側面が多くの人間によって求められた。
 音響効果の高い楽器部品としてはさておき、耐候性の低い象牙は剣や銃の
 グリップには明らかに不向きであるのに、あえて奢侈品として象牙は使われ
 続けた。
 乱獲はゾウだけにとどまらず、ヒョウやトラなどもスポーツハンティング、
 毛皮目的の狩猟、骨を漢方薬に利用するための密猟で乱獲が続けられた。
 ゾウは象牙を取るだけの目的で撃ち殺され続けた。


  密猟で殺されたゾウ
 
 また、最近まで、日本政府は西アフリカのコートジボワールという国名の
 ことを「象牙海岸」と呼んでいた。
 コートジボワールには、15世紀にポルトガル、イギリスなど西欧の貿易船が
 奴隷と象牙の売買目的で来航した。
 その地は黄金海岸、穀物海岸、奴隷海岸などとともに、象牙海岸(コート
 ジボワール)という名が付けられた。
 まさしく、西欧列強の文字通りの侵略と搾取の戦果を西欧人はそのまま国名
 につけていた。
 また、西欧の食を満たすためにアフリカにプランテーション化された農地を広げ、
 これが象牙乱獲とダブルパンチで野生動物を絶滅の危機にさらしてきた。
 17世紀半ばにはフランスが西アフリカ経営に乗り出し、1893年にコートジボ
 ワールはフランスの植民地となり、1917年には全土が制圧された。


  コートジボワール共和国
 
 象牙に代表される「先進国」の奢侈のためには、ゾウなどの野生動物だけ
 でなく、人間である黒人も家畜として扱われた。
 象牙問題は、単に象の牙の問題ではなく、「自己の欲求を満たすために
 他者を抑圧する」という構造が厳然として現在まで残存していることを
 見逃してはしてはならないし、世界一の象牙需要国国民として、私たち
 はそのことから目をそらすべきではない。



 地球上のゾウはアフリカのサハラ以南と南・東南アジアに生息している。
 アフリカゾウは陸上で最大の動物として知られ、アジアゾウは森林に棲み、
 アフリカゾウよりも体躯が少し小さく、頭や鼻など特徴も異なる。
 ゾウは、農地開発などで生息地を奪われると同時に、象牙目的で乱獲され
 てきた。
 アフリカゾウについては、組織化・大規模化した密猟が各地で急増している。
 その密猟組織たるや局地紛争を担えるくらいの軍事化された傭兵組織であり、
 その軍事組織を支えるのは「先進国」の需要を背景に暗躍する国際密輸シンジ
 ケートだ。
 アフリカゾウは、乱獲のために1980年代のたった10年間だけでも約134万頭
 から約62万頭へと激減してしまった。
 その1980年代に印鑑の原材料などとして最も大量に象牙を輸入したのが日本
 だった。
 21世紀になった現在でもアフリカゾウの密猟は続き、現在、アフリカゾウ
 の頭数は約48万頭と推定されている。
 一方のアジアゾウ(インドゾウ)も、現在では3万5千〜5万頭程度しか生息
 しておらず、絶滅のおそれがある。


【ワシントン条約と象牙の輸出入】
 1989年、世界各地の環境保護団体からの国際的な働きかけが実り、ワシントン
 条約によって象牙の国際取引が全面的に禁止された。

    ワシントン条約(英:Washington Convention)の正式名称は
    「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」。
    英文表記の Convention on International Trade in Endangered
     Species of Wild Fauna and Flora の頭文字をとって、CITES
    (サイテス)とも呼ばれる。

 しかしながら、ワシントン条約(CITES)常任委員会は、1997年に
 象牙の取引を部分的に解禁することとし、ボツワナ、ザンビア、ナミビア
 のゾウの保護ステータスを附属書Iから附属書IIへと格下げした。
 そして、更に、これらの国々が密猟者などから押収した象牙の日本へ
 の輸出を、一度に限って認めるに至った。
 一部限定的取引の解禁は、確実に違法な象牙の密猟を増やすことになる
 だろうことが懸念される。
 2000年度のワシントン条約(CITES)締結国会議では、ボツワナ、ザンビア、
 ナミビアに続いて南アフリカ共和国の象の附属書IIへの移行が認められた。
 つまり、象牙取引をしやすい条件にしたのだ。
 2002年11月の締結国会議では、南アフリカ、ナミビア、ボツワナの三国が、
 条件付きの一度限りの象牙の輸出を認められた(2004年5月以降)。
 ジンバブエとザンビアからの象牙取引解禁の要求は退けられらた。

 たとえ条件付きの象牙取引解禁であっても、象の密猟が増加する危険性は
 否定できない。
 なぜならば、多くのアフリカ諸国では、ワシントン条約(CITES)で定めら
 れた報告義務を果たすための設備が不足している。
 それに加えて、多くの地域で密猟者を取り締まるために活動しているレンジャー
 は、その人員や装備をまかなうための資金や政府からの援助が不足している
 のが実情だ。
 更に、ほとんどのアフリカ諸国では、効果的に密猟者や違法な象牙取引を
 取り締まるための法執行機関や法整備がまったく整っていない。
 資金が潤沢な重武装した軍隊のような密猟者(映画『ジュラシックパーク』
 に出てきた密猟者のような)の方が取り締まりレンジャーよりも軍事的に
 圧倒的優位に立っているのだ。取締りようがない。
 また、アフリカゾウの象牙取引解禁は、雄だけが象牙を持つアジアゾウの
 生存をも脅かしている。

  密猟により採取された象牙

 先に述べたように、象牙需要の増加にともなって、密猟は野生でわずか3万5千
 頭から5万頭しか生存しないアジアゾウの個体群の構成に深刻な影響をもたらし
 ているのが事実だ。
 あるインドの自然保護区では、400頭の雌に対してたった4頭の雄を残すのみと
 なってしまっている。
 多くの有識者が指摘するように、象牙取引解禁による象の個体数の変化は、
 環境保護団体の指摘を待たなくとも、人間の手によってコントロールできる
 類のものではないだろう。
 いかなる象牙取引の解禁も、アフリカゾウ、アジアゾウの生存に大きな脅威
 となることは間違いないだろう。
 
<年表>
1970年 アジア象とアフリカ象がワシントン条約によって保護される事が決定
1989年 ワシントン条約によって象牙貿易が全面禁止
1997年 ナンバリングによる貿易再開決議
1999年 ナンバリングを行うなどして、一度だけ限定的に日本が象牙を輸入
2005年 日本においてすべての象牙製品の製造・卸・小売業者に登録の届出の義務化
2007年 南アフリカ、ボツワナ、ナミビアが保有する象牙を限定的に日本に輸入
      することを認める決定(CITES)。中華人民共和国に対しては、密輸入の
      継続性の疑いがあるためCITESは許可せず。



【象牙貿易と密輸問題】
 かつて日本は最大の象牙輸入国であったが、ワシントン条約の締結により
 1989年より象牙の輸入禁止措置が採られ、表面上、世界経済の中での日本
 の象牙貿易は終了した。
 しかし、それはあくまで日本政府関係当局に備え付けの帳簿上のことだけ
 であり、日本への象牙密輸はずっと続けられてきたのが事実だ。

画像クリックでリンク先へ
リンク先:「ブローカーが語る象牙密輸取引の現場」

 上のリンク先サイトをごらん頂けば日本の象牙密輸の実態がよく分かる。
 なぜそれ程、国際条約や国内法を犯しても世界中の象牙が日本に密輸され
 るのか。
 答えは簡単だ。需要があるからだ。


 密輸業者や非合法国内象牙加工業者は、国際法や国内法など感知しない。
 金儲けがすべてで、金を儲けるためには確信的に法を犯す。
 まして、彼らには環境問題などに対する意識は寸毫もない。まず絶無だ。
 排ガス規制を疎ましく思ったり過積載を指示する運送会社の社主や、
 紛争地域に殺傷兵器を売りさばく武器商人や、中国人の幼児を5000円で買っ
 て来てフィリピンで内臓を取り出して売買する内臓ブローカーと同じ心根だ。
 金がすべてで、金儲けのためだったら何でもする。

 象牙は印材として牙ごと密輸されることもあるが、極端な身近な例としては
 象牙部品使用の海外製のビリヤードのキューがそれにあたる。
 ビリヤード・キューの部品、キュー本体としては、国内持込みの際の品目の
 「Ivory」の欄を塗りつぶして「と抹」するか、マンモスアイボリーと別素材
 の名称を書きさえすればそれで済んでいた。
 税関の台帳には、条約締結後、毎年輸出入は「0」という数字が並んでいた。
 しかし、大手ビリヤードメーカーやショップ、リペアマンは象牙を扱っていたし、
 ADAMという国内メーカーを除いて、その殆どは密輸による象牙を使用していた。
 2007年5月にビリヤードキュー製造メーカーの「シミシゲ」(本社岡山県、10月
 に倒産)が象牙を細かくしたものを2年前から部品として国内に持ち込んでいた
 ことにより検挙、社長と副社長が逮捕された。
 また同年10月には国内大手メーカーの「且O木」(Mezzブランド)の社長と工場長
 が象牙密輸で逮捕された。
 更には、同年11月、千葉県のビリヤード用品店イーアールスポーツの社長と同社
 役員だった山本久司プロ(JPBA所属)が象牙使用のキューを販売して逮捕された。
 この検挙された3社は氷山の一角に過ぎない。
 しかも、シミシゲに至っては、取調べの際「ワシントン条約というのは知って
 いたが、詳しくは知らない」と供述しており、2004年に施行された国内届出
 象牙販売業者に登録をした会社だっただけに悪質といえる。
 業界リーダーの三木においては、社長自らスーツケースに隠し持って日本に
 入国しており、社会に対する斯界の信頼を著しく損ねたといえよう。山本久司プロ
 にしても然りだ。
 違法行為はどこまで行っても違法行為であるのだが、それ以前に、三木の社長
 の供述にある「自社製品を高級品としてアピールしたかった」旨の発言は、いかに
 象牙が実用品としてでなく奢侈品として金儲けの道具にされているかを如実に
 物語っている。密輸業者は儲けが第一義で、そこには環境に対する配慮は微塵
 もない。

 しかし、ゾウの絶対量としては、1989年以降はアフリカゾウの個体数が増えたこと
 は確かだ。
 ボツワナ、ナミビア、ジンバブエのゾウの個体数においては間引きが必要な規模
 へと増加している。
 前述のように、1997年のワシントン条約締結国会議では、ナンバリングを行う等の
 措置を条件に貿易再開を決議。1999年には日本向けに一度限りの条件で貿易が
 行われた。
 確かに、南部アフリカ諸国はゾウの急増により農業被害や人的被害が見られる
 こともある。これを理由に、アフリカ各国は引き続き貿易の継続を要望したが、
 一方で無制限に貿易が再開されると錯覚した密猟者がまたもやアフリカ各地で
 活動を活発化させ、混乱が生じたことから再開の目処は立たなくなった。
 2007年、ワシントン条約の常設委員会は、監視体制が適切に機能しているとした
 南アフリカ、ボツワナ、ナミビアが保有している60トンを日本へ輸出することを
 認める決定をするに至った。


【象牙取引業者について】
 象牙は国際法においてはワシントン条約(CITES)、国内においては「絶滅の
 おそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(別名「種の保存法」
 平成5年(1993)5月施行)が適用される。
 種の保存法については、ここ「種の保存法の解説」のサイトが法体系まで含めて
 分かりやすく解説してくれている。
 また、種の保存法に基づき、象牙等を取り扱う事業を行う者(「特定国際種事業」
 という)は、あらかじめ経済産業大臣及び環境大臣に事業者としての届出を
 行い、取引について記載台帳を作成し保存することが義務付けられいる。
 この届出については、ここ「種の保存法に基づく届出等について」のサイトが
 詳しく解説している。
 この届出を行わない業者はすべてモグリで違法、ということになる。
 また、注意しなければならない点として、平成17年(2005)7月2日付の
 「種の保存法」施行令改正に伴い、すべての象牙製品の製造業者及び印章の
 卸・小売事業者
からすべての象牙製品の製造業者及びすべての象牙製品の
 卸・小売事業者
に届出が義務付けられることとなった。
 「すべての象牙製品の卸・小売事業者」という点にご注意頂きたい。
 それまでは、「製造業者」と「印章の卸・小売事業者」だけが対象だったの
 だが、この施行令改正により、「製造業者」はそのままだが、新たに「すべての
 象牙製品の卸・小売事業者」に規制の枠が拡大されたのだ。
 これにより、卸・小売は印章を扱う事業者だけが届出をしていればよかったのが、
 象牙を売る者すべてに届出の義務が課せられたのである。
 先角だろうがインレイだろうが、ビリヤード用品の中に少しでも象牙を使う者
 は、届出なしでその製品を作ることも扱うことも禁止されたのだ。

 また、届出をした業者は、環境省・経済産業省から特定国際種事業者である旨
 の証書と業者登録番号が付与されるので、所定の要式に基づいてこれを表示し
 なければならない。

  特定国際種事業者の認証。
  白い空欄に政府より付与された事業者番号が記入される。
 
 これは環境問題を鑑みて制定されたワシントン条約を遵守する意味からも、
 大変重要なことであり、心あるビリヤードキューリペアマンは既に届出を開始
 している。
 他のリペアマン、象牙部品取り扱いショップも、密輸品をヤミでさばく行為を
 すぐにやめ、速やかに届出をして欲しいと願う。
 なお、これは個人判断の「任意」でなく、法的な「義務」である。
 良識ある企業として、地球環境や社会情勢の変化に合わせて自分たちの意識を
 変えていくことも大切なことだろうと私は考える。
 

【象牙に替わる素材】
 高級志向として象牙を求める人の心を変えるのは困難だが、実用品として
 象牙を求めることに対しては人間の知恵で代替品が作れるのではないかと
 私は考えている。また、どうやって法の網をくぐってゾウを殺して儲けるかに
 頭を働かすより、代替品の開発という方向にこそ人間の知恵が絞られるべき
 だとも思う。
 事実、そもそも現在の化学樹脂であるプラスティックは、ビリヤードの象牙玉
 の代替品として発明された、という歴史がある。

四つ玉のビリヤードボール(象牙製)。
大阪市立科学館の企画展示 「プラスチック100年」
で展示された。1920年代の物。

 
 私たちの生活になじみ深いプラスチックの語源は、ギリシア語のplastikos
 から来ている。
 元々は「塑造の」という意味で、土をこねて形あるものを作ることだ。
 英語のplasticはギリシア語から生まれた。
 現在、プラスチックは我々の生活に欠かせない。
 木綿や紙などのセルロース繊維に硝酸を加えて作ったものをニトロセル
 ロースという。
 これの製法は1800年代初頭にはすでに工業界には認知されていたが、
 これをこのままプラスチックとして用いるには、割れやすく加工がしにくい
 欠点があった。
 しかし、1863年、あるビリヤードボール製造業者が、それまでの象牙やクレイ
 ボール(焼き物の球)に替わるボール素材の開発品を懸賞金をかけて募集した。
 1868年、アメリカの印刷業者ハイアット兄弟がニトロセルロースに樟脳を
 混ぜることで、象牙の代替品として使える丈夫で光沢を持つ物を作り出した。
 これは成功し、ビリヤードのボールは世界で初めて実用化されたプラスチック
 製品として歴史に名を刻まれたのだ。
 実用化されたプラスチックの普及に向けて、1872年、セルロイド株式会社が
 誕生した。
 そしてこのニトロセルロースプラスチックは、ハイアットが名づけた商品名
 の「セルロイド」の名を冠して売られた。
 やがて、セルロイドは合成樹脂の代名詞として世界に広く浸透していく。
 成形しやすく美しいセルロイドは、おもちゃ、文房具をはじめ多くの物に
 使われていった。
 日本においても、セルロイドは明治初期に輸入され、明治40年代からは国内
 生産が開始された。
 日本は樟脳の一大産地である中国の台湾島を赤く日本地図に組み入れること
 で、気がつくと昭和初期にはセルロイドの生産量が世界一になっていた。
 セルロイドは発火しやすく製造時に事故も多発したが、非常に残念なことに
 別な意味でもセルロイドは製造権益をめぐる大国間の強奪戦の火種のひとつ
 となっていた。最初は平和利用のために開発されたセルロイドが。
 第2次世界大戦後、より安全で安価なベークライトというプラスチックの
 普及とともにセルロイドは消えていった。

 一方ビリヤード以外で、象牙に替わるものはないだろうか。
 実用品として象牙を使用する品物に楽器が挙げられる。
 三味線のバチに始まり、ギターでは弦を張る部品であるナットやブリッヂ、
 そしてピックなどに使われる。
 倍音性に優れた象牙が醸し出すギターの音色は独特なものがあり、多くの
 ギタリストや聴衆の心を捉えて離さない。
 しかし、いつまでもゾウさんを殺し続けて象牙を使うのはためらわれる。
 これに替わる代替品は30年ほど前からギター製作者やメーカーによって
 模索されてきた。米国マーティン社などは、1980年前後、自社の人気モデル
 D-28のナットに当時NASAも採用しだした新素材「マイカルタ」を使用した。
 マイカルタとは米国、ウエスチングハウス社の商品名で、一般には絶縁基板用
 素材として利用されていた。
 構造は、タネ材にフェノール樹脂をしみ込ませた積層に加熱もしくは加圧成型
 したものである。
 木綿にフェノール樹脂をしみ込ませて加熱成型したものをリネンマイカルタと
 呼び、キャンバス地にフェノール樹脂をしみ込ませて加熱成型したものを
 キャンバスマイカルタと呼ぶ。
 薄い木の板を積層に加圧成型したものをウッドマイカルタという。
 また紙にエポキシ樹脂をしみ込ませて積層に加圧成型したものはペーパー
 マイカルタあるいはアイボリーマイカルタと呼ばれ、風合いも象牙に近く、
 ナイフ用のハンドル素材に象牙の代替物として十分通用する。

  オールド・ガーバーの名品、シルバーナイト#300。
  アイボリーマイカルタのハンドルにスクリムショウ(毛彫り)。
  シルバーナイトシリーズの中でも#300モデルは生産量が少なく、
  人気が高い。アイボリーマイカルタハンドルに動物、魚、乗り物
  などを丁寧にスクリムしたモデル。
  ブレイド長73mm、全長165mm、ハンドル長92mm。


  こちらは私のガーバー・シルバーナイト#300。
  アイボリーマイカルタに水辺を飛ぶ二羽の鴨がスクリムショウで施されている。
  象牙でなくとも、ハンドルを手に取り何十分間眺めていても飽きない。

  
  レイ・ビアーズのカスタムナイフ。
  パティーナ風のアイボリーマイカルタに精緻な
  スクリムショウが施されている。
  ナイフの世界では完全にマイカルタが天然象牙
  の代替品として市民権を得ている。

 
 また、マイカルタは強度でいえば、リネンマイカルタが一番強い。ここ数年で
 ビリヤードキューのフェルール(先角)にLBM(リネンベースメラミン)が多く
 採用されているのはリネンマイカルタと同じ構造による強度特性を持つからと
 考えられる。
 アイボリーマイカルタは本象牙程ではないにしろ、かなり高価な製品だ。
 今後は本象牙にこだわらず、キューの装飾部分についてはアイボリーマイ
 カルタを使用したらどうだろう。
 キューのフェルール(先角)については、既にサウスウエストとショーンが
 1980年代にマイカルタをパティーナ風にして先角にしている。
 打球感触は極めて良い。


 別部門では、河合楽器製作所とダイセル化学工業株式会社が象牙に替わる
 鍵盤表皮材として共同開発した樹脂“ファインアイボリー”が、2006年11月1日
 に社団法人発明協会から平成16年度関東地方発明表彰発明奨励賞を受賞した。
画像クリックでリンク先へ
 “ファインアイボリー”は、植物系素材を原料にした樹脂で、1989年に発売した
 カワイグランドピアノから搭載を開始しているそうだ。
 同サイトによると、高い比重・ほどよい硬さ・吸放湿性・摩擦特性(滑り感)
 という特性により、汗をかいても指先が滑らず、象牙を超えた演奏性を持つ
 素材として、ピアニストから高い評価を得ているらしい。
 また、静電気を帯びにくく、ほこりが付着しにくい性質により、表面を美しく
 保つ特徴があるとのことで、唯一の欠点といえば、象牙特有の経年変化による
 飴色のパティーナにならないことだろうか。
 ビリヤードのキューにも、ADAM社などはフェイク象牙を使っているが、このファ
 インアイボリーなども、素材としてビリヤードキューの装飾に使えるかも知れない。
 ひょっとしたら先角にさえ使えるかも知れない。今後の動向を見守りたい。
 
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【未来にむけて】
  これからの未来、様々な方面で野生動物保護の観点から象牙の代替品を人間が
  発明し開発し実用化に挑戦していくことは、まったくもって人類の英知の名に
  恥じない行為だと思う。
  しかし、モータースポーツである二輪レースの世界では、本革に勝るレーシング
  ウエアは存在しない。これ程科学が発達した現代においても、天然素材である革
  を超える化学繊維は未だに作られていないのだ。
  ビリヤードキュー職人であるJossのダン・ジェーンズの言葉が心に引っかかる。

     「化学製品が象牙に限りなく近づくことは可能だが、
      象牙を超える物は現在のところ何も存在しない」

  ゾウは神が創ったものだ。人間も。
  神の創造物である人間は、自ら首を絞めたこの星の未来のために、
  神の創造物を超える創造に挑んでいかなければならないという
  長い道のりの試練をきっと与えられたのだろう。



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