銃のおはなし

元来銃は人殺しの道具です。
誰が何と言おうと、どのように奇麗事で化粧しようとも、これだけは動かない事実です。
ほんの少し指先に力を加えるだけで、目の前でつい先ほどまで生きていた命を単なる物体にしてしまう、人間が生み出した忌むべき道具です。
けれども、引鉄(ひきがね)を引くのは人間です。
「猿は猿を殺さない」とは、昔のハリウッド映画の中での有名なセリフでした。
40年経ったこんにちでも、その言葉と未来への人類のテーマはまったく色褪せません。
そうです、人が人を殺すのです。
人が生まれる時、人は皆笑うのに。

そうして生き物の命を奪う道具として、今まで多く使われてきた銃ですが、そのようなことだけのために人は銃を求めるのでしょうか。
そのような殺伐としたことだけを求めて道具として銃を手にするのでしょうか。
実は、銃には人間の太古の狩猟本能と種の保存本能に訴える楽しみを人間に与える性格があると思うのです。
それは、「狙ったところに当たる」ということ。
つまり、ある狙った目的に意図したものが到達する喜び。
目指すところに達して事が成就する人としての達成感。
奇しくも目的は「目」の「的」と書きます。
こうした人間としての本質的な隠れた欲求を満たすものとしての性格を銃は持っているのだと思います。
無機質な鉄の工作物である銃は、実は人間に一番近い道具なのかも知れません。

では、生き物を殺すための道具でなくするにはどうしたらいいのか。
それは単に的が人をはじめとする生き物でなければよいのか?
答えは、単純にYesだと思います。
とても困難で長い道のりですが、人類の課題としてこれを目指していくことが問われているのだと思います。
私には常に葛藤がありました。
ガンサイトの先のあの動物は、人間の趣味で殺されるために生まれてきたのか、と。
また、あの人間はこの一発の銃弾で殺されるために生まれたのか、と。
刀が戦場(いくさば)の対人兵器から剣道の竹刀に変化したように、銃も殺傷のための使命を一日も早く終えて、全世界から殺生のために銃を用いない日が来ることを私は大真面目に願っています。
たぶん、遠い未来の銃のあるべき姿は、こうだと思うのです。
それは、プリンキングと呼ばれる簡易射的や、オリンピック等で種目とされている「的に当てる」ことを競ったりする競技射撃である、と。
それにのみ銃の存在価値が求められること、そうした内実にこそ地球の未来はあると、私は信じています。
 


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