COLT SINGLE ACTION ARMY (S.A.A. ピースメーカー)              ウエスタン・アームズ 
                                                             ABS樹脂モデルガン

ウエスタン・アームズ・コルト・ピースメーカー 4.75インチバレル(3rd)

**********************************************************************************

<データ>

口  径:.45(実寸=.44口径モデル)
重  量:530g(空シリンダ)
      650g(カート装填)
銃身長:12.05mm(4-3/4in)
全  長:260mm
装弾数:6発(カート内発火方式)
価 格:シビリアン  ¥5,800
     フロンティア ¥6,000
     キャバルリー¥6,000
     別売りカート ¥1,000
     (1978年発売当時)



<麒麟児ウエスタン・アームズ>(文中敬称略)

ひとりの少年がいた。
東京が焼け野原になった数年後に少年は生まれた。
少年は子どもの頃から玩具の銃をいじくりまわしていた。
東京生まれの少年は、上野のアメ横に子どもの時からよく通っていた。
戦後から15年たった頃のアメ横は、玩具銃メーカーが軒を連ね、ガンマニアにとって聖地だった。
まだ一般家庭にテレビジョンが普及していなかった戦後から十数年後までの時代、人々の興味の対象は戦後に日本にやってきたアメリカ映画と街頭テレビに写る力道山や巨人の川上だった。アメリカ映画の代表は西部劇だった。
西部劇は戦後に強くなったストッキングと同じく、アメリカを象徴するアメリカそのものに日本人の目には映った。
1950年代には日本国内でもウエスタンミュージックと共にカントリーブームがやってくる。代表的なミュージシャンは平尾昌明だった。
60年代初頭に入り、国内ではそれまでマテル等の輸入品に手を加えて販売していた日本モデルガン協会という店舗がMGCと名前を変えてリアルな模擬銃を製作した。
世界初の「モデルガン」の誕生だ。
当時の上野では、一番多くの銃装品を扱う店は中田商店という店だった。
中田も他のメーカーと同じく、MGCより後発メーカーだった。

1950年頃の上野アメヤ横丁。
戦後のヤミ市の軒が並んだこの町では
米軍の放出品が多く売られた。

1965年にMGCが同業者組合を脱退し、他社へのモデルガンの供給をストップしたとき、他社は力を合わせて製造から販売までのネットワークを作った。
この「MGC対同業他社」という業界構造はこの後15年以上続く。
この同業他社間で作られた組合の中心的な存在が中田商店だった。
当初は、丸真という亜鉛ダイカスト製造業者にモデルガンの製造を委託して、他社がそれぞれ自社のブランドで販売する方式が採られていた。

1965年というのは日本の実銃界、トイガン界にとってターニングポイントとなる
重要な年なので少し長くなるが説明しておこう。

実銃の所持の際、更新時に精神疾患に罹患していない旨の医師の診断書が必要になったのは1965年の7月15日からだ。
この時の銃刀法改正により、銃砲店で銃を購入する際にも、精神病でない医師の証明書と住民票の提出が義務付けられた。
この時はこの年の2月に名古屋で起きた「西村事件」によって銃刀法改正に至った。
「西村事件」とは、精神疾患で治療を受けていた西村貞助が合法的に猟銃を所持して喫茶店に実弾を発砲した事件だ。
この1965年の銃刀法改正に連動して、モデルガンメーカーのMGCもモデルガンを購入する客に7月1日発売のブローニング.380から住民票を提出してもらうようになった。
小売店からは不満が出たらしいが、MGCは住民票提出を小売店にも求め、18歳未満には販売禁止という指示も出した。
玩具購入に住民票提出とは、まるで玩具が実銃に準ずるかのような印象を世間には与える。
後に、これが更なるモデルガン規制の銃刀法の改正に繋がる布石となってしまう。
同年8月1日、MGCは小売り店へ強硬方針を指図する一方で、それまで販売委託をしていた各小売店と関係を清算して自社利益追求のためにアメ横に直営店である
「MGCボンドショップ」を開店した。
これにはアメ横の他の小売店は大きな不信感をつのらせ、一斉にMGCに抗議した。
なぜならば、それまでMGCのモデルガンへの関わりは「製造卸」を受け持つものであり、
そのMGCから卸売りで仕入れた小売店である中田商店、江原商店(CMC)、
ホビース商会、マルホコルト商会といった店が「小売り」を受け持つという
円満な取り引き関係が成立していたからだ。
MGCが直営店で自ら小売り業にも手を出すということは、それまでの製造卸→小売り
という流通ルートを断ち、商店街の共存共栄の利害関係を根底から崩して自己権益
のみを確保することに繋がるものだった。
70年代に大手スーパーなどが商店街に進出して八百屋や酒屋の存在に壊滅的打撃を
与え始めるずっと前の時代だ。
MGCは小売店に対して「不満を言うなら商品は卸さない」との独占企業の倣岸な態度
を貫いた。
やむなく、小売店側はMGCとの取り引き関係を終了させるに至った。
しかし、小売り店側には大きな問題が立ちはだかった。
当時国内流通モデルガンの殆どはMGCからの供給だったので、売るべき商品そのもの
がなくなってしまったのだ。
日々のたつきが立たない死活問題だった。
小売店側は急場凌ぎにウルトラCの裏技に打って出た。
中田商店にいた職人の六人部登に無稼動文鎮モデルを急いで製造させ、マルシン
ダイカストにブローニング.380やPPK等のMGC製品をフルコピーさせて、組合のオリジナル
商品として販売したのだ。
カタログも反MGC各店舗が相乗りで自社ブランドを併記させたものを用意して、
横の利便性を図り、客離れを食い止める努力をした。
1970年代後半頃まで、フルコピーの製品があたりまえのように流通していた
のは、実はこの1965年の銃刀法改正をめぐってMGCが採った方針と対応による
トイガン業界内部の対立を背景としていたといわれる。
また、小売り店組合側は、65年の夏頃、急遽、六人部にMGC製品コピーでない
オリジナル・モデルの設計を委託した。
1965年9月、TOKYO CMC(旧江原商店)が非MGCの国内第一号モデルガンである
コルト・ガバメントの製作を発表した。
MGCの小林(現タニオコバ代表)は実は職人・デザイナーとして六人部とは仲が
悪くはなかったのだが、小林vs六人部、MGCvsCMC・中田陣営と捉えられた構図
はこの頃から発生して、1980年代まで続いたのだった。
MGCは、製品の供給を受けられなければ小売り店はMGCの指図に従うだろうと
たかをくくっていたのが予想外の展開となってあわてたのか、反MGC同盟が粘り
強く創意工夫で凌いでいく様を見て、あれ程強圧的に申し渡していた18歳未満
にはモデルガンを販売しないという方針を急に撤回する。
しかし、まったく実効力を伴わない住民票の提出要請はそのまま継続させた。
これは、一見メーカーの良心的な自主規制のように思えるが、犯罪抑止力としての
実効性には大きな疑問が残るといわざるを得ない。
それどころか逆に、この住民票提出は、あたかも「モデルガンは危険で実銃に
近い物」との印象を当局に植え付け、「実銃まがいの模造銃というものはあっては
ならない」との旨をより強固に物理的に体現させる1971年の大規制の誘い水として
作用して行くことになるのである。
そして、そのMGCによる顧客への住民票提出要求は、71年大規制実施に至るまで継続
されたのであった。
当初のMGCの方針が犯罪防止への協力という観点からのみだったならば、やろうと
思えば銃身を貫通させる改造が可能だった71年規制製品の構造上、71年以降も住民票
提出を求めた筈だろう。
現実問題として、明らかに構造的にモデルガンの改造不能性が確保されるのは77年
のsmG規制まで待たねばならなかったからだ。
つまり、住民票提出は、モデルガンの安全性普及促進や悪意ある改造の防止ということ
については、なんら実効性をもたなかったのだ。
結局は、当局へ顧客の個人情報を横流ししただけであり、これで喜ぶのは誰かという
ところをよくよく考えないといけない。
しかし、71年規制後、即座に住民票提出要求をとりやめたところを見ると、どうやら、
中身のある実効性を勘案してのことではなくて、単なる当局へのゴマ擦りと小売り店
潰しの意図が当時のMGC首脳部にあったことは明白である。
業界先駆者のMGCこそが共同歩調の礎となって求心力を持つべきところ、自己権益に
走ったがために、歴史的に取り返しのつかない事態を惹起させたといっても過言では
ない。
プラスティックの表面を金属でメッキして黒くすることが「公認」されている現在、
亜鉛合金という脆い金属モデルを金色や白に染めることがいかに中身のないことで
あるかは、もはや歴史的に証明されたといってよい。
「実銃に見間違う」ということであるならば、プラスティックの肌の方がよっぽど
実銃に近い時代になってきたからだ。
このことひとつをとってみても、実は表面の色などどうでもよく、国家が何を規制
したがっていて、また民間メーカーが何に手を貸してしまったかが浮かんでくる。
そこには、製品の安全性確保や国民の趣味的興味の満足という牧歌的な次元とは
異なる意図が働いているのだ。
歴史にIFはナンセンスとは知ってはいても、MGCはもっとやり方があっただろう、と
思わざるを得ない。
当時のトイガン業界の結束力の欠如と内紛が無条件に黄白規制を呼んだことは
間違いなく、トイガンユーザーの側が望んで規制を運んできたのでないことは
疑いようのない事実だからだ。
メーカーの独善や不協和音がもたらしたものは、実銃が大量に存在する外国から
見ても奇異としか映らない程の取り返しのつかない事態を法規として歴史に残して
しまったのであり、その責任は重い。
当時は現在と違って、住民票どころか他人の戸籍までも誰でも閲覧でき、謄本が
取り寄せられるような人権もへったくれもない時代で、そうした制度上の後進性
が多くの悲しむべき差別事件を生んだ。
MGCの行ったことは、プライバシー問題という現代の眼で諮ることはできないが、
それを抜きにしても余りある責任が問われる行為だったといえるだろう。
これは、製品の良し悪しとは別の次元の問題として歴史の中に刻まれた事実として
私たちの前に横たわる。
現在MGCという法人は消滅したが、つい先年までトイガンファンがそれとなく
感じていた「MGCとその他のメーカー」という二極構造の印象は、実は1965年の
銃刀法改正に端を発する商売上の対立の問題から連綿と続いていたものだった
のだ。
今でこそ、金で頬を叩く企業買収を社是とする人物が国会議員に立候補したり
しても恥知らずとは思われないが(そうか?)、考えてみるとMGCは、1965年
当時、20年後、30年後のアメリカ式の自己権益確保第一という経営方針を打ち
出しただけかも知れない。
だが、それは、戦後から培って細々と復興を成し遂げてきたきたアメ横の商売の形
をあまりにもないがしろにして踏みにじるものだったのだ。


さて、話を麒麟児に戻そう。
少年が中学生になった頃、中田は独立した自社工場を整備しつつあった。
中田と丸真が共同出資して運営していた中田の工場部門はやがて独立して、東京
レプリカ・コーポレーション(TRC)となった。
その時代に中田の工場長をしていた人物に根本忠という人がいた。
「ネモチュウさん」と親しみを込めて人から呼ばれる日本のウエスタンシーンでも
重鎮の人だった。
アメ横にあしげく通っていた少年は、あるときに根本氏からモデルガンの組み立て
をアルバイトとしてやってみないか、ともちかけられる。
少年はそれを引き受けた。
当時モデルガンは作動が完璧でなく、箱出し状態でまともに動く物は少なかった。
少年の組み立てたモデルガンは一切クレームがなかった。
中田のモデルガンの評判が上がり、組み立ての仕事がどんどん増えた。
最初はひとり、そして手が足りないため友人に応援を依頼して組み立てをこなして
いた少年だったが、どうにもまかないきれない程の膨大な数量の仕事が入ってきた。
止む無く、「国本製作所」として旗揚げして本格的に人を雇って生産をこなした。
この頃と前後して、モデルガンの組み立て技術だけでなく、国内では少年のガンプ
レーを越える人間は存在しなくなっていた。
少年は高校生になった頃、当時としては珍しかった名刺を自作して、映画制作の道
に入って行った。
とてもハンサムな紅顔の美少年が、何故、自分で俳優を目指さなかったのか不思議
だった。
少年の名刺の肩書きには「拳銃殺陣師」と印刷されていた。
少年の名を国本圭一という。

国本少年は、ネモチュウさんから「クニちゃん」と呼ばれてかわいがられていた頃と
あまり変わらない幼な顔とは裏腹に、多くの日本アクション映画の製作に携わって
大人顔負けの大仕事をこなして行った。
時代劇の殺陣師は古くから存在したが、まだ国内のアクション映画でアクション・
インストラクターなど誰一人といなかった時代、国本少年はアクション指導者として
日本映画界に先鞭をつけたのだった。
まだJapan Action Clubもなかった時代、アクション・インストラクターとしての
仕事は、千葉真一よりも早かった。
有名な作品では、国本は『喧嘩犬』(1964)で田宮二郎に、『狙撃』(1968)で加山
雄三に拳銃殺陣師としてガンアクションの殺陣をつけている。

やがて、国本少年が成人して間もない頃、トイガン業界との関わりは、独立法人化
した自分のメーカーからモデルガンをリリースすることで結実する。
これに先立ち、国本は渡米して徹底的にS.A.A.での実弾射撃を修行している。
また、この頃は、COLTガバメントを使用したコンバットシューティングが米国内で
発生しだした時期でもあり、彼はコンバットシュートにおいても相当な経験をつみ、
米国内でのマッチでも好成績を収めている。
国本は.45ACPガバメントによるコンバットシューティングというものを初めて日本に
紹介して普及させた功績を持つ。
現在の日本におけるガバメント人気の歴史は、国本本人の存在なくしてはあり得ない。
国本その人が日本にいたからこそ、現在まで力強く続くガバメント人気の底力が
存在する。
さて、日本国内で彼が作ったカンパニーは、その名も「ウエスタン・アームズ(WA)」
といった。
自分の原点であるウエスタンを名に冠したことは想像に難くない。
国内のモデルガン事情は、国本が日本を離れた頃と一変していた。
金属モデルはすべて銃膣を閉鎖させられていた。
金属に替わってプラスティック製のモデルガン第一号であるSIGとS&WハイパトがMGC
から発売されていたが、70年代初期のマニアの反応は今ひとつだった。
そのため、MGCは徹底的にTVドラマ製作方面に「黒いモデルガン」を供給することを
通じてメディアによる視覚宣伝効果を狙った。
これは成功して、人気番組の「ワイルド7」や「太陽に吠えろ!」では全面的にMGC
のプラ・モデルガンが画面狭しと登場し、その後の「西部警察」に至ってプラスティック
モデルガンは大ブレイクして、日本のプロップガンとしてプラスティックの
モデルガンはなくてはならない存在となった。

国本が70年代中期に自ら立ち上げたWAで、一番最初に製造したのはプラスティックの
コルト・ピースメーカーだった。


1978年の専門誌の広告から。発売当初は店舗を構えず、販売店に
製品を委託して販売する方式だった。

WAのピースメーカーが発売される少し前、国本はTVCMに出演している。
WAが製造を担当し、コクサイから発売されたABS樹脂製ピースメーカーのCMだった。
国本はそこで華麗なガンプレイを披露した。
ファニングは早すぎて目にも止まらないため、スローで動画が再生された。
彼は左手の煽り1回で親指→中指→小指でハンマーを起こして行く。
左手をひと煽りで3発。6発全弾撃発するのに左手はふた煽りだけ。
しかも、6発がまるで1発の撃発音のように聴こえる。
この視覚的なインパクトは強烈だった。

話がそれるが、それ以前に私は国本以外に同様のファニングを目の前で見た
ことがある。
あれは1972年。上野アメ横のマルゴー(旧丸郷商店)だった。
その日はMGCにピースメーカーを買いに行った。
アメ横に行ったときにはGunショップ巡りをするのだが、その日もMGCの帰りに
行きつけのマルゴーに寄った。
平田という店員さんに買ったばかりのSAAを見せた。
当時は少年ジャンプに『荒野の少年イサム』が連載されていて、SAAの人気は
かなり高かった。
その少年ジャンプのグラビアで、平田のガンプレイが掲載されていたりした。
私がMGC-SAAを見せたら「MGかぁ。」と言う。
「駄目ですか?」
と問い返すとミスター平田は
「いや。駄目なことはないよ。作動性はいい。ただ、なぁ・・・」
彼は不満の理由を言わなかった。
私のMGC-SAAを手にとって、「動かしていい?」と言うので「何かして見せて」と
ねだると、彼は初弾は撃鉄を起こした後ファニングを見せてくれた。
平田は私に訊く。「今、何回撃ったか?」 私は2回、と答えると「4回だよ」と彼は言う。
後年、国本がTVCMでやったトリプル・ファニングだった。
まったく手の動きが見えなかった。
さらには、片手のサミングでの連射を見せてくれた。
これも早すぎて指の動きが見えない。
私はまさに『シェーン』でのジョーイ少年状態になっていた。
ハンマーが何回か往復したらしいことだけが見える。
ハンマーの作動音は長い1回に聴こえる。
彼が「何回だ?」と訊くから、私は「5回」と答えると、彼は
「そんな訳ないだろ〜。3回だよ」とアープのような髭を揺らして笑った。
とにかく驚いた。
「うん。このピーメはなかなかいいよ」と言って返してくれた。
それから13年後の1985年、たまたま目黒のコクサイにM16のスーパーウエポンを
買いに行った。
スーパーウエポンとは、モデルガン本体でカートを撃発させて、かつBB弾が
火薬の発火と同時にフロンガスにより別銃身から発射されるという夢のような
トイガンだった。
うちの大学から近かった目黒駅前のコクサイにはミスター平田が店長として
カウンターにいた。
私には一目でミスター平田と判った。
私は「平田さん?」と声をかけて13年前の一件を話した。
ミスターは懐かしがって、こちらが恐縮するくらいの大量のBB弾やらガスや
標的をオマケでくれた。
「その後、ドロー、やってる?」と訊かれたので、13年前当時はかなりドロウや
スピンを練習していたことを告げると
「じゃあ、ガンベルトなんかも結構いいやつ持ってるんだ〜?」と彼は言う。
「いやあ、普通のCMCのしか持ってないです。それにここ何年もやってない」
と言うと、彼はちょっと寂しそうに「そうなんだぁ。」と呟いた。
彼はマルゴーの後、コクサイの前に渋谷YMCの店長もしていたと記憶している。
85年当時はWAがSAAを生産中止したくらいSAA人気が凋落していて、残念ながら
私もモデルガンのSAAよりもエアガンでのサバイバルゲームに興味が移っていた
のだった。
ただ、その時、ミスター平田にすすめられたコクサイM-10のモデルガンがとても
魅力的だったのが印象に残っている。
二人で「リボルバーって、やっぱりいいよね」と言ったのを覚えている。

さて、国本が出演したそのコクサイのTVCMは、私のイトコの姉や兄のような
ドロウシュートや銃を知らない人が見ても「わあ、すごい!」と驚嘆した。
たしかCMのコピーは「比類なき作動性」といったスーパーインポーズが流れて
いたと記憶する。
そして、そのコクサイのCMの数年後、満を持して国本自身がWAからピースメーカー
を発売した。
それまで製造プロデュースを受け持ち、販売をコクサイに委託していたWAから自社
販売のプラスティック・ピースメーカーが発売されたため、これは国本人気とマッチ
して爆発的に売れた。
売り上げは先行したコクサイ(WA)や後発の六研-CMC(第2世代)の追随を許さなかった。
国本が手がけたピースメーカーは、コクサイやCMCと同じデザイナー六人部の設計
の金型を使っているとはいえ、箱出し状態でまるでフルチューニングされたS.A.A.
のように、作動性が抜群に優れていた。
フリクションを避けるために通常設置される板スプリングがかかるハンマー底部の
回転ローラーが省略されたハンマー構造なのに、とても滑らかなハンマリングだ。
いろいろ初期販売経路の行き違いもあったようであるが、WA-SAA周辺の流れとしては
こうだ。
  *1975年    六研ABS-SAA、CMCから発売(設計六人部、金型-十条金型)
  *1976年3月  六研、SAAを独自に並行販売
  *1976年    六研SAA製造中止。十条金型がSAA金型を売却、WAが買い取り。
           WA-SAA、金型を改良し国際産業から発売(銃身内金属パイプ)
  *1977年12月 WA組合加入、コクサイと関係解消して独立販売へ。
          安全対策を施した2ndバージョンを新発売(銃身内上部半分
           をふさぐインサートタイプ)
  *1978年   WA、SAAの完全独自販売体制確立。MGCと販売提携
  *1980年   六研-CMCプラSAAを再販(全くの新金型)
          ABS材質に問題あり、市場から製品を回収
  *1981年   CMCプラSAA再々販

六研製のSAAはCMCに販売委託した際には「CMC ROCKEN」とパッケージに
印刷して販売されていた。
製造-六研、販売-CMCといったところか。
もう一方の軸として製造-WA、販売-コクサイというラインが存在した。

六研プラの箱
実銃2ndジェネレーションの箱のデザインをフルコピー
した六研のプラスティックSAAの箱。CMCから発売された。

WAプラの箱
こちらはWAの5.5インチモデルのパッケージ。

<WA-S.A.A.が登場するまで 〜金型をめぐって〜>
六研-CMC-コクサイ-WAの関係、そして金型の流れは、1978年Gun誌12月号
並びに1981年7月号のジャック天野のレポートに詳しい。
21世紀の現代においても、巷間噂が噂を呼ぶ日本初のプラSAAの金型の流れ
の真実は、当時の事情通であるジャック天野(アマノジャクのもじりのペン
ネーム。実は日本でのウエスタンアクションの草分け的某SAA大家)によると
以下の通りである。
日本発のプラスティックのSAAは、六研の六人部が設計して、十条金型という
金型製作会社で金型を作ってSAA本体を製作し、CMCを販社として1975年に発売
された。
六研-十条金型-CMCのSAAは銃身の右半分をふさいで重量をかせいだ構造
で好評を博したが、技術的に未解決な部分を残したままの製品だった。
これは、ダイキャストの上にABS樹脂を貼り合わせるのを金型でやるのが
当時としてはかなり困難を伴ったらしく、多発する不良品が採算ベースを
割ったため、すぐに生産中止となってしまった。
完成品よりも欠陥品の方が多くできてしまうことも多かった。
SAA生産が立ち行かなくなった十条金型は、多くのモデルガンメーカーに
金型売却の話をもちかけた。
当時、ジャック天野が勤務していた東京レプリカコーポレーション
(もうジャック天野というペンネームのライターがどなたかお判りだろう)
にも十条金型から金型売却の話が持ち込まれたが、結局、金型は国本圭一が
買い取ることとなった。
国本の話によると、金型の手直しで相当苦労したらしい。
とりあえずSAAの金型を入手した旧国本製作所の国本は、WAというブランドを
立ち上げて金型とSAA本体の改良に取り組んだ。
WAが問題の金型の手直しと完全な製品の生産に成功した背景には、国本の
少年時代からの相棒である樋口という人物の功績は見逃せない、と天野は語る。
樋口とは国本社長よりひとつ学年が上の人で、国本が16歳の頃には二人で
組んでガンプレーの全国巡演などをしていたらしい。
国本が高校入学後、GUN研究のために渡米した後は、樋口はロックバンドを
組んだり家業の寿司屋を継いでたりしたらしいが、十条金型の金型を国本が
が買い受けてWAを旗揚げするにあたって、旧友の二人が再会して固く手を取り
合い、新世界を開拓して行った。
国本の相方を務めるくらいのガンスリンガーなのだから、樋口は相当なSAAの
遣い手だったに違いない。
さて、件の金型は六研の六人部というモデルガンデザインの大家が設計
したとはいえ、製造面においてとても満足の行く製品を生み出すには至ら
なかった。
国本圭一は、その強度面の脆弱さを銃身内部に金属パイプを貫通させる
ことによって解決した。
設立当初のWAは、モデルガン製造協同組合に加入していなかったので、
合法的とはいえ、かなり大胆な手法を採り入れることが可能だったのだ。
ボルトを改良したり、金型そのものの型直しなどの苦労の末完成したWAの
初代SAAは国際産業(後のコクサイ)から発売されて、国本社長自身も
コクサイSAAのTVCMに出演してガンプレーを披露したりしていた。
この初期バージョンのWA-コクサイのSAAは、幻の名銃と呼ばれて、1980年代には
ファースト・ドロウをやるシューターたちが血眼になって探し求めていた。

さて、一方、六研-十条金型協同のSAA打ち切り以降は、CMCが独自にその後を
継承してプラSAAを発売するアナウンスをしていたのだが、それは延び延びに
なり、結局、全く新しい金型を起こして六研-CMCのプラSAAが再販されたのは
1980年だった。
設計者の六人部によると、前回の失敗の経験を生かした金型作りを行い、
より実銃に忠実でリアルなモデルを完成させた、という(1981年当時)。
この六人部設計による六研-CMCの第二次金型が後年CMCが解散した後にHWS
(ハートフォード)が引き継いでいくHWS初代モデルの金型であるのだ。

WA-SAAの初代モデルは、六研-CMCの初代モデルと同金型のため、初代六研と
同じく、キャバルリーとシビリアンの2機種のみが生産されていた。
これに当時日本でフロンティアと呼ばれたアーティラリーの5.5インチ銃身
モデルが加わるのは、WAが製造協同組合に加入して1977年の銃刀法改正に
適合した安全モデルであるWA-SAA-2ndバージョンを発表した時である。
このときにWA-SAAのグリップストックは初代六研と同じだったスタグホーン
タイプから象牙タイプに変更がされている。
また、1977年銃刀法規制に適合させるように、WA-SAA-2ndモデルは安全性に
主眼を置き、初代六研-十条金型の強化改良版である銃身内金属パイプ仕様を
破棄して、平玉火薬を多量に使用するとあえて銃身に亀裂が生じるように
国本によって設計変更された。
しかし、後年「亀裂が入りやすい」とされたWA-ABS樹脂の材質については、
2代目六研-CMCのABS樹脂よりもWAは遥かに粘りのある物を使用していた。
六研-CMCは、仕上げを実銃に近づけるリアルさを求めるあまり、シャープさと
黒い光沢を出すことばかり追求したためか、粘り強さに欠けるABSを使用する
ことになってしまった、と天野は指摘する。
このため、CMC-SAAは、その2代目においても、金型からの射出成型後に各所に
自然にヒビ割れが発生するという最悪の事態を招いてしまった。
CMCは急遽これらの製品を市場から回収して、ABS原料を変更して再度生産した
ものが1981年の夏頃から供給された。
六研-CMCは、奇しくもSAAで二度も手痛い目に遭ってしまったのだった。

かたやWAのSAAは、その作動性の滑らかさと強靭性において、リアルさを追求
したとする六研-CMCの2代目SAAを遥かに超えていた。
かといって、WAとしても、慢心はしなかった。
フレーム構造やボルトの構造など、どんどん細かいところを改良していった
のであった。

さて、WA-SAA-2nd(1977モデル)のパッケージに印刷されたSAAは、後年、
同様にこの実銃パッケージをモデリングしたタナカがわざわざ自社製品のSAAを
プリントしたのとは違い、自社のSAAを印刷することはされていない。
もしかすると、実銃の箱デザインをそのまま流用しただけなのかも知れない。
このようなことは、商標のロイヤリティーにやかましくなかった1970年代の
日本の広告においてはよく採られた方法だった。
銃の部分は厳密に言うと六研もWAもイラストである。
後年のタナカの箱の銃部分は写真が使われている。


(画像はクリックで大きくなります)
クリックで大きくなります
六研SAAの発売前広告
(Gun誌1976年4月号/一部抜粋)


六研の六人部は時流を読むことに長けていたらしく、76年当時、大人気だった劇画
『ワイルド7』で登場したコルトウッズマンのうち、主人公飛葉ではなく、ヘボピー
が愛用したマッチターゲットモデルをMGCよりも4年も早くリリースしている。

(画像はクリックで大きくなります)
クリックで大きくなります
六研ウッズマン・マッチターゲットの発売前広告
(Gun誌1976年4月号/一部抜粋)

劇画『ワイルド7』が少年キングに連載が開始されたのが1969年。MGCは1970年の
ビジェール誌において「夢のブローバックモデル」としてウッズマンのイラストを
掲載しており、MGCでは1970年時点で既にウッズマンが製作プラン上に挙がっていた
ことがわかる。
(画像はクリックで大きくなります)
クリックで大きくなります
(MGC自社出版小冊子『ビジェール』1970年号/一部抜粋)

また、『ワイルド7』の人気が絶頂だった1973年に、MGCはワイルド7の実写TVドラマ
の巨大チラシの裏面において、次期製品としてウッズマン・スポーツ・タイプのABS
ブローバック・モデル発売を予告していたが、実際にMGCからウッズマンの発売が
開始されたのは、劇画連載終了間際の1979年初頭だった。

1970年代に入ると西部劇は凋落しており、イーストウッドはそれを越えてハリー・
キャラハンというキャラクタで70年代マグナム・ブームをこしらえて乗り切ったが、
日本国内のトイガン・メーカーは現在のように人気の先取りを狙って製品化できる
能力に欠けていた。
現代との情報収集力の違いだろう。
大抵は3〜4年ほど遅れていたのだ。
(現代でもモノによっては変わらないかも。JR東日本で2003年に導入されたSuicaが
 やっと3年後の今年、広島で導入されることになりました。JR西日本なのでIcoca
 カードといいます。)
1970年代頃、その時人気のモデルがトイガン化されるのは4〜5年後だった。
ウエスタン・アームズのSAAも、ある意味、この方式に当てはまるかも知れない。
75年当時は、すでにウエスタン・ブームは5年ほど前に去り、マグナムの時代さえも
終局の兆しが見えて、S&Wなどの多弾数9ミリニューオートが人気を集め始めた時代
だったからだ。

さて、中田時代の国本が組み上げたモデルガンがクレーム皆無だったことを思い出し
ても分かるが、実際に銃を使いこなせる造詣の深いチューナーが存在すると、製品と
いうものがその作動性において熟成→完成へとまっすぐに向かうことが分かる。
全米でも名を馳せたSAA&コンバットシューティングの確かな実力を備えた国本が
プロデュースするSAAは、リアルさのみに主軸を置こうとした六研SAAを尻目に国内
最高の作動をユーザーに約束した。
また、コクサイのSAAは、7.5インチ銃身(キャバルリー)と4.75インチ銃身(シビリアン)
の2機種のみで発売が開始されていたが、WAは1977年規制の2ndバージョンから5.5
インチ銃身(フロンティア=現在の呼び方でアーティラリー)もラインナップに揃え、
ニーズに応えている。

今でこそ、5.5インチ銃身は一番人気の薄いモデルとなっている。
しかし、1965年に公開されたマカロニ・ウエスタン『夕陽のガンマン』で主人公
のクリント・イーストウッドが使っていたのが5.5インチ銃身であったり、それ以前の
多くの西部劇にも5.5インチ銃身が登場してたことなどにより、1980年代前半までは
一般的にはシビリアン4.75インチよりも5.5インチ銃身のSAAが日本では一番人気が
あったのだ。
少年ジャンプが100万部の購買数を誇った70年代前半に人気が高かったマンガ
『荒野の少年イサム』(原作:山川惣治『荒野の少年』 画:川崎のぼる)でも、劇中
で登場するピースメーカーはことごとく5.5インチモデルだった。
ただ、写実的には銃の描写は甘い。
当時は、1950年代のハリウッド・ウエスタンがそうだったようにS.A.A.の黒色火薬
モデルを考証正しく描写したものは皆無で、劇画においても使われたS.A.A.は殆どが
1896年以降のベースピンスクリューが横置きになった無煙火薬用の1stジェネレーション
以降のモデルだった。
『荒野の少年イサム』もやはり1stのレイトモデルもしくは2ndジェネレーションの
物を描いていた。
しっかりとした時代考証で西部開拓時代の黒色火薬モデルのS.A.A.が紙面に登場した
マンガは、松本零士の『ガンフロンティア』の表紙扉が初めてだったと記憶している。
銃身長により4.75インチをシビリアン、5.5インチをフロンティア、7.5インチをキャバルリーと
日本では呼び慣わしたが、実銃においては、販売当時は民間モデルは銃身長
に関係なく「シビリアン・モデル」と呼んだ。
従って、実銃ではニックネームでなく、銃身長を4-3/4"のように呼ぶのが通例となって
おり、5.5インチをフロンティアと呼ぶのはまったく米国では通用しない。
日本国内では、商売上、国内受けするようなネーミングを冠したのだ。
事実、モデルガンでも、MGCなどはSAA全般を「フロンティアシリーズ」と正式には
呼んでいた。
ファースト・ドロウを射程に入れた国本のWA-SAAは、メインがシビリアン4.75インチ
だったとはいえ、5.5のみをラインナップから外すのはユーザーのマニアックな人気を
鑑みると難しかったのではないだろうか。

1960年代のモデルガンの黎明期、70年代の揺籃期とは、当時の映画などの時代考証面
が不正確でも許容されたような時代背景を反映して、モデルガンにおいても時代考証
や実銃のディティールを正確に複写した物は殆ど存在しなかった時代、といえる。
MGCの金属S.A.A.はSAA-1stジェネレーションのレイトモデル(無煙火薬モデル)を
モデルアップしたものだが、実銃の外観を大幅にデフォルメしていたし、内部構造も
MGCオリジナルの機構だった。
CMCの68年型金属バージョンモデルは、実銃でなく写真から採寸したために、中心部
から遠ざかるにつれてだんだんサイズが肥大化して横に伸びたような格好のS.A.A.に
なってしまっていたし、TRCも似たようなものだった。
唯一アサヒのS.A.A.が実銃に近いといわれているが、これとて、現在の写実的な
リアル・モデルガンを見慣れた「肥えた」目で見ると、甘さが多いことがわかる。
WAのピースメーカーも、分類化するならば、リアルな寸法よりも作動性に重点を
置いたMGC系のS.A.A.であるといえる。
しかし、WA-SAAの作動性は、30年以上過ぎた21世紀の現在に至っても、群を抜いて
いる。
71年規制後、作動性の良好だったMGCのピースメーカーが銃膣完全閉塞でファースト
ドロウでは使えなくなり、シューター派も発火マニア派も、しけた平玉火薬のような
不完全燃焼の時代が続いたが、天才ガンナーの国本本人が手がけたWA-コクサイS.A.A.
が登場したのであるから、国内のドロウ・シューターや発火モデルガン・ファンの誰しも
がWAのピースメーカーを諸手で歓迎したのも頷ける。
WAのピースメーカーは、サバイバルゲームの勃興によりウエスタンスタイルの銃が
廃れる1980年代半ばまで、断トツのトップシェアと性能を誇り、S.A.A.ピースメーカー
の名に恥じない「モデルガンを制した銃」として君臨したのである。

WAのSAA発売当時、WAはコクサイと業務提携していたが、1977年規制を経てコクサイと
関係解消してWAが独立販売するにあたり、WAはモデルガン界の雄MGCと業務提携する。
WAのSAA取扱説明書には販売店として8店舗に及ぶMGC各直営店の名称と所在地が刷り
込まれ、WAは「製造発売元」として記載されていた。
この関係はWAが渋谷の駅前のビル1階に自社店舗ブースを出した後も継続され、宮益坂
に新店舗を構えた80年代以降はWAのカタログや取扱説明書にはMGCとWAががっちりと
手を携えたロゴが新たに追加された。



1965年の経緯をよく知る業界の者が見たら、業界再編の勢力図に新たな時代の潮流が
怒涛のごとく押し寄せてきたことを容易に見て取ったろう。
また、このロゴは単なるマークではなく、WAの国本とMGCの小林が販売経路だけでなく
製品開発における技術的な情報交換もあったであろうことを想像させる。
それまで野放しだったロイヤリティーが正当な「権利意識」として発芽した時代の到来を
このロゴに見て取れる。
ただ、MGCの小林が、製品は設計していればいいというだけでない「商品」であると
いうことを噛み締めるリーガルマインドの重要さに気づかされるのは、この後、10数年
を待たねばならない。
それはMGCとWAが蜜月の時代には想像だにしなかったことだろう。
だが、「単なる技術者で世間知らずでした」という言い訳は、社会に流通させる「商品」
を手がける者には許されない。
大学教授には世間知らずが多いが、教授だからといって横断歩道でなく車道を横断して
車にはねられて「研究だけしか知らなかった」では済まされないのと同じだ。
戦後35年過ぎても民主主義が未成熟だった当時の日本では、どれほど優れた
工業製品やトイガンを作ろうとも、その担い手の社会意識性は明らかに後進国の
それだった。
たとえば環境庁が国内に設置されたは1971年だったが、それまでの公害の蔓延や薬害
の野放しを見ても、高度成長期にあった日本自体が官民もろともいかに未成熟なもの
であり、「GNPが世界2位に」と政府が流す大本営発表のプロパガンダとは裏腹に、
内実共に先進国の仲間入りをするには1970年代までの日本は実に内容の乏しい国で
あったのが嘘偽りない事実なのである。
実体の伴わない政治的経済的な急成長は、国内の内情不安と地球規模での海外との軋轢
を生み出し、1950〜60年代には小峰隆生が語るように国内の街頭は首都をはじめと
して「準内戦状態」だった。
とにかく、矛盾のカオスの中で、突出した学生の意識と行動だけがこの国の行く末に
先駆的に警鐘を乱打していたのだったが、「先進国」として実のある意識性は企業も
国も持ちえていない未熟児状態だったのが、1970年代までの日本の姿だったのである。
工業製品の生産に携わる圧倒的多数の資本側の意識は、社会性を持ちえていなかった。
ある意味において、反社会的な位置にその意識はあった、と規定できる。

さて、旧MGCの小林は個人サイトで、ガスブローバックの技術に関してWAから訴訟が
提訴されたことを以って国本を感情的な表現でなじり倒していたが、それは社会人
として如何なものかと思う。
それに対して、WAの国本は訴訟の場以外では沈黙を頑なに守った。
相手方は、何も殲滅の対象であるエネミーではないのだ。
訴訟大国アメリカで見聞を広めたWAの国本は、実用新案の権利保全とロイヤリティーに
関して、リーガルマインドにおけるバランス感覚が先進的であっただけだ。
民事訴訟手続きにおける原告とはあくまで提訴側のことであり、被告とは被提訴側の
ことであるだけだ。
個人サイトでの感情的な書き込みを見る限り、法律事務に慣れていない小林には、
日本の未熟なマスコミが未だに民事と刑事の区別もつかずに刑事被告人を「被告」の
呼称で誤報を続けるが如く、「被告」という一語を以って自らが犯罪者のように扱わ
れたと誤認して憤慨していたフシが存することがサイトの書き込みから伺えた。
自ら公言しているように「世間知らずの技術屋」ゆえ感情的になるのは分からない
でもないが、かつては天下のMGCの副社長である。
提訴されたからといって自分が犯罪者のように扱われたと感情的に相手を逆恨み
するのは見当違いも甚だしい。
私は、逆に「容疑者」を「犯人」と即断する民主主義の未成熟なこの国の民の意識を
代弁しているかのような感情を小林に見たのだった。
技術権利を巡る90年代のWAの各訴訟においては、結果としてはWAの原告側敗訴が
続いたが、国本が提起した一連の訴訟は、敗訴したとはいえ、オリジナル銃器メーカー
の商標を野放図に使用していた後進国日本のトイガン界にあって、ロイヤリティーを
国内で初めて海外銃器メーカーと正式契約したWA社にあっては、その行動において
極めて妥当性を有する提訴だったと私は思料するのである。
同時に、訴訟手続きにおける「判決」とは、その多くがそうであるように「勝てば官軍」
という次元の感情を補完するためのものではなく、あくまでも法解釈という観点で
裁判官が示した判断である、ということを深刻な問題として私たちに明示する。
一般民事事件において訴訟代理人たる弁護士は、弁護士法第1条に定めるように、
基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命として担っているのであり、原告側・被告
側双方に弁護士が代理人としてつくことを鑑みると、民事訴訟においては何を明らか
にするのか、そのリーガルマインドの拠り所は明らかだ。
法律とは、あくまでもその社会の発展段階における権利と義務の連鎖についての道筋
であって、通俗的感情を体現する為に動員される類のものではないのだ。
(文中敬称略)


ついカタイ話になってしまった。
旧MGCの小林氏にもWAの国本氏に対しても決して他意はない。
私とすれば、お二方は子どもの時から「情念」においては私淑していた方であり、
光明が差すように、マテル〜CMCモナカを経て本格的なトイガンの世界を私の目の前に
広げてくれた方である。
上記コラム記事は、MGC製品もWA製品も愛するいちユーザーの正直な感慨として
汲んで頂けたら幸いである。


**********************************************************************************************************


CMCとWA <WA-S.A.A.の特徴>

WAのS.A.A.の特徴として、他のメーカーのプラ製とは違う点。
これは近くで見ると一目で判るが、まず色が違う。
黒でなく深いブルーなのだ。

上:CMCプラ(プラ2nd)
中:WAプラ(3rd前期)
下:WAプラ(3rd後期)

CMC製のプラ・ピーメと比較してみると肌色の違いがよく判る。
WAの第二世代〜中期型(1977〜1980頃)は紫がかったブルーのABSを使用している。
ただし、WAにおいても、後期型は黒味が増した現在までも続くABSに変更している。
残念ながら材質変更の詳細なデータは現在のところ手元にない。
それにしても、CMCの素材よりも青みがかって見える。
(一番下のWA中期型Uはリペアの為に表面を多少サンディングした状態です)

この青色のABSはMGCの極初期型ハイウェイパトロールマンのヨーク部分のABSにも使われている。少し紫色がかったブルー。

そしてWA-SAAのハンマーを起こすと・・・・・そこには感動の嵐が待っている。
まるっきりプラスティックの音はしない。
亜鉛合金モデルのMGCピースメーカーでさえ「チャコン」という音であるのに、WAのピースメーカーはプラにもかかわらず、「チチ・チキンッ」という澄んだ金属音がする。
これまで国内で発売された全モデルガンのS.A.A.のうち、CMCの貫通シリンダー金属ピーメが「キンキンチリンッ」という一番澄んだ高音を発するが、WAのプラ・ピーメはそれと限りなく同質の音色を奏でる。
現在まで経験したモデルガンS.A.A.で一番澄んだ高音を発するのがCMC貫通シリンダーで二番目がコクサイの金属1st黒色火薬モデル。そして三番目がWAのプラだ。
他のメーカーはたとえ金属だろうがプラだろうが「シャコン」とか「カチャン」というくらいで、澄んだ残響音を残す物はない。

WAのS.A.A.は他社のモデルとかなり違いがあるので、特徴的な部分をさらりと列挙してみよう。

【WA-SAAの特徴】
1.色・・・・・・・・黒ではなくブルーの地肌のABS樹脂(現在この色は存在しない)。

2.作動音・・・・澄んだ金属音(特にシリンダーを空にした際に顕著)。
(各社の音質の違いを携帯ムービーで撮影しましたが、元ハードの音域の狭さから
 綺麗な録音ができませんでした。折をみて、ちゃんとした録音機材を使用して
 各社SAAの音質比較のページを設置してお届けしたいと考えております )

3.刻印・・・・・・シリンダーとハンマーの見えない部分にランパントマークの
         刻印がある。(当時としては画期的)
クリックで大きくなります クリックで大きくなります

4.作動性・・・・他社製品とは別次元。それまでに国内に存在したピースメーカーの
        モデルガンで一番作動性が優れている。
        まるで一丁一丁カスタムしたかのような正確で円滑な作動性。
        ボルトが上昇してシリンダーノッチにはまるタイミングは絶妙で、
        ハンマリングも極めてスムーズ。
        箱出し状態でWAを超える作動性を持つS.A.Aは現在においても稀有。
クリックで大きくなります
ハンマーボトム部分のローラーはモールドである。
しかし、モールドとは思えないほどスムーズな回転をもたらす。
フリクションロスを軽減させる絶妙なR形状がもたらすマジックだ。




5.バランス・・・銃身半分より上部分にインサートを兼ねたバランスウエイトを装備。
        これにより適度に銃身を重くして、実銃S.A.A.のバランスで全体的
        に少し軽くなったニュアンスを再現している。
クリックで大きくなります

6.エジェクタースクリュー・・・エジェクターを銃身にとめるスクリュー受けとして、
               バレル内にピアノ線状のスクリューストップを設置
               している。細やかな配慮だ。
クリックで大きくなります

7.ファイアリングピン・・・実銃2ndと同じ形状のファイアリングピン。
               これは当時としては実にリアルだった。
クリックで大きくなります クリックで大きくなります
WA-SAAとマルシンのハンマーの違い

8.トリガースプリング・・・板バネでなく、カスタムS.A.A.に多く使われるピアノ線
               タイプのスプリングを最初から装着。
クリックで大きくなります







9.グリップの形状・・・・独特。国内のS.A.A.ではかなり一番握りやすい。
        私見だが、MGCのは小さすぎ、HWSや旧CMCのは異様に大きすぎ、ハド
        ソンの黒色火薬モデルはボッテリしすぎ。
        手を加えない箱出し状態では私の手に一番しっくりくるのがWAの
        グリップ〜トリガーガードのRにかけての形状。手に吸い付くよう
        だ。コクサイがこれに近い。

10.カートリッヂ・・・・モデルガンはリアルな大きさのカートリッヂを使用しない。
        多分安全対策からだろう。
        MGCもCMCも口径を「.45」とうたってはいても、実際には.41口径の
        ケースがシリンダーに入るのがやっとだった。
        目安として.38口径物のモデルガンは実際には.32口径、.45口径
        表示には.41口径シリンダーや弾倉というのがモデルガンの常識だった。
        しかし、WAのピースメーカーのシリンダーは大きい.44口径の実弾
        ケースと同径となっている。
        これは当時としては画期的なことだ(HWSやコクサイは.41口径。
        現在のハドソンは.44口径)。
        ただし、安全対策のためか.45口径にはせず、またカートの長さも
        短い物にした。これは返って、前から見たときにシリンダーイン
        サートが奥まって見えにくく、リアルさを増す結果も生んでいる。
カートリッヂ各種
S.A.A.用カートリッヂ各種(左から)
.45Colt実弾/44-40実弾/.38spl実弾/WA(.44)/HUDSON(.44)/MGC(.41)/旧CMC(.41)/CMC(.41)/HWS(.41)
実銃で「ピースメーカー」というのは.45COLT仕様モデルのみに与えられた代理店の
コマーシャルネームだった。44-40用は「フロンティアシックスシューター」と呼称した。

クリックで大きくなります .44-40実弾をWA-SAAに装填してみる。
シリンダー・インサート部までぴったりと収まる。
ノギスで計測するまでもなく、WA-SAAのシリンダーが.44口径寸であることが判る。

(画像はクリックで大きくなります)



クリックで大きくなります .45ロングコルト実弾をWA-SAAに装填してみる。
弾頭部分だけかろうじて入り、ケース部分はまったくシリンダーに入らない。

(画像はクリックで大きくなります)




11.シリンダー・・・・シリンダー中心軸に円盤をかぶせたような硬材インサート
           が、シリンダー前部から見て奥深くにセットされている。
           目立たない位置なのでヴィジュアル的にもとてもセンスある
           デザインだ。インサートはカートからの発火と干渉しない小
           さなものである。
クリックで大きくなります







以上が、大まかなWA-SAAの特徴である。



<バージョンによる構造の違い>

多くのモデルガンがそうであるように、WA-SAAも年代によって改良・バージョンアップが図られている。
最近では、HWSやCAWが製品のそうしたバージョンをメーカーサイドとして明示して、ユーザーも弁別認識しやすくなっている。
このことは、実銃のメーカーに近づいた製品管理がようやく日本でも根付いてきたことを物語る。
かつては、国内の工業製品は生産現場においても販売・部品管理においてもシステマティックな管理がなされず、「現合(げんごう)」という生産現場のその場限りの場当たり的な手法が品管の主流を占めていた。
カスタムナイフの世界ではボブ・ラブレスが近代カスタム・ナイフの神様として著名だが、彼が偉大なところは、ナイフの切れ味や耐久性といったものではなく、徹底してデータを管理して同じものを製造できる「システム」という概念をナイフメーキングに初めて導入した点にこそある。その意味でボブは歴史的な功労者といえる。

1970年代は、モデルガンの改良した部分についてユーザーに発表することをメーカーはしていなかった。
このことがユーザーのモデルガン・マニア心という研究心に火をつけることにもなるのだが、逆に事実と反する噂が巷に氾濫したりする危険性も含有していくことになるのである。
しかし、新たに未見の物が発見されたりすると知られざる事実が世に明らかになったりして数寄者たちの興味を引くのは、刀剣や陶芸等の書画骨董の世界に似ているかもしれない。

さて、WAのSAAも他メーカーと同様、当時の風潮のままに、公にせずとも初期製品から末期に至るまでは細かな改良が施されている。
だが、WA-SAAは、これでもかというくらいに同一機種でバージョンを変えていったMGCとは違い、大きく分けて2世代に分けられそうだ。さらに研究が進み、今後新たなバージョンが確認されたなら、その時に検証を加えたい。
ここでは特徴をまとめてみた。
変更時期については年代の完璧な裏づけがとれていない。
1976年のごく初期のバージョンからすぐの1977年に銃刀法の改正による規制により
大幅な構造変更がなされたので、WA-SAAのメインは第2世代(2nd〜4thバージョン)
となる。

1.初期型(WA-コクサイ)
 (1)銃身・・・・・金属パイプ貫通タイプ。
 (2)ボルト・・・・スチール二枚プレートタイプ。
 (3)ストック・・・スタグホーンタイプ(箱出しでは外周を削る必要あり)。

2.ニューバージョン1977年型(WA-2nd)
 (1)肌・・・・・・ブルー
 (2)ボルト・・・・スチール二枚プレートタイプ。
 (3)テンプラ構造・・・外周プラの覆い=連結部分が少なく、クラックが入りやすい。
           特にフレーム下部(シリンダー下側)は風呂桶のような状態で
           プラスティックが亜鉛合金に被さるので、プラのたわみが
           出やすく、構造的な弱さは否めない。
クリックで大きくなります 上:3rdバージョン
下:2ndバージョン

テンプラ構造の違いが判る。
金属のインナーフレームの形状も違うため、
ボルトの穴位置にも違いがある。
ボルトの形状も違っている。

 (4)ストック・・・・アイボリー色のプラ/彫り部分黒色塗装なし
          (外周を削る必要なし。ピタリとしている)
クリックで大きくなります
上:3rdバージョン前期タイプストックを後期本体に装着
下:3rdバージョン後期タイプストックを前期本体に装着

3rdバージョン前期までは凹み部分に黒塗装されていないストックが標準装備だった。
(3rd後期型本体はリペア中のため表面をサンディングした状態です)


 (5)ベースピンスクリュー・・・・受けの♀ナットにマイナスドライバ溝なし。
クリックで大きくなります






3.3rdバージョン前期型
 (1)肌・・・・・・・ブルー
 (2)ボルト・・・・・スチール二枚プレート+ブロック挟み込み溶接タイプ
 (2)テンプラ構造・・外周プラの覆い=2ndの改良型。大変しっかりしている。
 (3)グリップ・・・・2ndと同。
 (4)ベースピンSW・・♀側ナット=マイナスドライバ溝あり。

4.3rdバージョン後期型
 (1)肌・・・・・・・黒
 (2)ボルト・・・・・スチール二枚プレート+ブロック挟み込み溶接タイプ
 (2)テンプラ構造・・外周プラの覆い=2ndを継承。
 (3)グリップ・・・・2nd初期と同じタイプで黒塗り省略(若干白くなる)。
 (4)ベースピンSW・・♀側ナット=マイナスドライバ溝あり。

5.4thバージョン
 (1)肌・・・・・・・ブルーもしくは黒
 (2)ボルト・・・・・スチール二枚プレート+ブロック挟み込み溶接タイプ
 (2)テンプラ構造・・外周プラの覆い=全く新しいシャーシ構造。
クリックで大きくなります
上:4thバージョン(K's Gun No.2)
下:4thバージョン(K's Gun No.1)
全く新たな形状で、金型に大幅に手を加えた構造であることがわかる。
テンプラ部分の形状から見て、かなり強度がアップしている。





<完全分解>
(画像はクリックで大きくなります)

クリックで大きくなります WA-SAの完全分解の状態。




ベースピン・スクリューだけ分解し忘れてる。。。

クリックで大きくなります WA-SAの内部構造(2ndバージョン)。

1stモデルとの最大の違いは、バレル。上半分が金属ウエイトで塞がっていること。




クリックで大きくなります バレル基部。

キャップ火薬をほぐして火薬量を増加させリロードして
発火したら、コーン部が吹き飛んでしまった。

(よいこはぜったいにマネしてはいけません)

クリックで大きくなります これが俗にいうところのテンプラ構造。
亜鉛合金のアンコ部分をABSのコロモで包む。
トリガーガード、バックストラップに至るまでこの構造。
一番薄い皮の部分は1ミリに満たない部分もある。
これがテンプラモデルが強度不足というネックを
抱える要因のひとつにもなっている。

クリックで大きくなります 3rdバージョンのフレーム部分。

ネジによりテンションがかかる部分のプラは割れてしまっている。
しかし、中の金属が割れているわけではないので、作動には差し
支えない部分でもある。
可動部やバレルにこの状態が起きると重篤で、使用はできなくなる。

クリックで大きくなります
ハンマースプリング。

FD用スムーズコッキングのため、私が手を加えている。
競技用チューンならこれだけでは駄目で、発火性を向上させるため
ハンマーの重心位置を前部に移動させるハンマー加工が必要。
WAオリジナルハンマーを加工するのはもったいないので、
あえてノーマルのままのハンマーをすり合わせ仕上げのみで
装着している。

クリックで大きくなります ハンマー・ボトム部。ローラーのように見えるが、モールドである。
モールドなのにローラーピンの穴まで再現されている不思議さ。
ハンマースプリングのテンションがかかる部分に注目。
ローラー部分が窪んでいる。これが凹形でスプリングを受けるため、
フリクションロスが大幅に軽減されてWA独特のスムーズさに最大限
貢献する結果を生んだ。まさに瓢箪から駒。材料ケチったら見越しが
なくなる現象が起きたビリヤードの314ハイテクシャフトの如し。

クリックで大きくなります ハンマーとスプリング。
ハンマー中心部分はスプリングにまったく接触していない。
これはローラーを装着する一般ハンマーがローラー部(ハンマーの中心)
だけしかスプリングに接触しないのを逆で行くパターンだ。
結果として接点は一箇所増えるが、むしろハンマーを両脇から二点で
押し込むこととでスプリングを均等に押し下げる安定性にも寄与する
ことになった。
フリクションロスも極めて少ない。
WA-SAAがスムーズに作動する最大の秘密のカギがここにある。

クリックで大きくなります バレルのスタンプ。
一般的な実銃2ndジェネレーションのスタンプ。
.45とあるが、WA-SAAのシリンダーは.44口径だ。
しかし、それまでの多くのモデルガンSAAが.41口径だったのを考えると、
WAのSAAはリアリズムを我々の身近に引き寄せた感がある。
現在では、ハドソンのみが.44口径の大きさのカートを使用している。
リアルといわれたランパントクラシック製でさえ.41口径だった。

クリックで大きくなります フレーム左側のスタンプ。
2行+ランパント丸なしのタイプ。
エッヂは甘いが、当時のモデルガン製造技術としてはこんなものだろう。
ランパントの馬はダラッとしておらず、なかなか精悍。
それは尾や前肢と後肢のタッチに現れている。
下手にデザインを起こすと、これが躍動する馬に見えず、疲れ切ったロバ
に見えたりするので、型起こしの担当者には絵心が要求される。

クリックで大きくなります フレーム右側のスタンプ。
社名の文字が角ゴ体で刻まれる。
そっけない字体に思えるが、あえてバレルやフレーム左とはフォントを
変えており、ささやかなアクセントとなっている。
無骨なこの文字も、だんだんと味があるように思えてくるから不思議だ。
もっとも、この文字を見なくても、目をつぶってハンマーを起こせば、
すぐにWAのSAAであることは誰にでも判るのだが。

クリックで大きくなります WA-SAAはABS樹脂射出の際のテーパーラインが大きく残っている。
ライン除去にはかなりの労力と神経を使う。
ラインが大きな凸状態で残っているため、バレルなどは気をつけないと
円周パイプでなくオクタゴンになってしまうからだ。
この画像はサンディングしてテーパーを除去したトリガーガードとフレーム。
ポリッシュされた実銃がそうであるように、あえてエッヂを立たす処理方法は
採り入れない。適度にエッジが丸くなった方がむしろSAAはリアルなのである。

WA-SAAの特徴のひとつに、ゲート・スプリングをとめるネジが省略されていることが挙げられる。MGC-SAAと同じ構造だ。
これは組立てるときにトリガーガードを押さえつけておかなければならず、単なる力技だけでなくコツを要する。
また、各ネジ類は磁石に着くことから、スチールであることがわかる。
ネジボルトエンドの先端はRが取られていない。
このため、FDでWA-SAAを使用する際には、このネジ先端を丸く削ってポリッシュしてやる必要がある。


<画期的だったWAのカートリッヂ>
ウエスタン・アームズのカートは、それまでのSAAの1ピース削り出しカートと異なり、3ピースの構造で内部のインナーが火薬を押してカート内壁で押圧されて火薬が爆発する仕組みだった。
カート内部で爆発してカート内で圧縮されたガスは、カート先端の丸くあいたガスポートを通ってシリンダー→バレル→銃口に一直線に抜けるようになっており、ガスポートの延長線上は銃口まで筒抜けで遮蔽物がなく、効率がよくて画期的だった。
キャップ火薬が世の中に登場する以前の平玉火薬〜キャップ火薬登場のちょうど転換期にWA-SAAは発売されて、すぐにキャップ火薬仕様のカートモデルにシフトされ平玉用カートは消えて行った。
キャップ火薬仕様のカートで発火すると、キャップ火薬のビニールキャップ部分にカートのガスポートの形に丸く穴があく。いかに効率よく火薬の爆発ガスがカート内で圧縮されて抜けているかがわかる。
ただし、ポート型に丸くちぎれたビニールは銃口から飛んでいくので、危険といえば危険。

クリックで大きくなります クリックで大きくなります クリックで大きくなります






WA-SAAのカートリッヂ。
左が初期型の平玉火薬仕様。
右がキャップ火薬仕様。
WA-SAAが発売された1978年時、キャップ火薬は世の中に存在しなかった。
一番右の一葉に写るカートの丸い穴がガスポート。

キャップ火薬が実用化されて発売されたのは1979年初頭であり、
キャップ火薬専用モデルガンの第一号はMGCのウッズマンだった。
(極初期のMGCウッズマンのBLKカートはデトネータ方式のため、
平玉火薬カートと同じようなワンピース構造だった)
WA-SAAも発売当初は当然平玉火薬仕様のカートがついていたが、
程なくMGキャップ火薬用のカートに変更された。
キャップ火薬の登場により、使用者が火薬量を調整することはできなく
なったが、安全性と利便性が格段に増した。
また、プラグファイアー式のブローバックモデルは、キャップ火薬の
おかげでようやく確実な作動を獲得することができた。
1979年は、モデルガン史の火薬元年と言ってもいいかも知れない。
それまでの平玉は、平たく言えば黒色火薬である。


「鬼印優秀平玉」
キャップ火薬が登場するまで、モデルガンはすべてこれを使用していた。
運動会のスターター火薬がMGC-SAAやステンなどのブローバックモデルの
カートにはぴったりで、それが最適だったが、法律上一般人はスターター
火薬を買えなかった。
つまるところ、平玉火薬を大量に使用するようになる。
この表面の赤い紙をつまむようにすると火薬部分だけがちぎれてとれる。
それをMGC-SAAの場合は通常3〜5発詰めていた。
最後の1個はこぼれ止めのために台紙ごと丸く切り取ってフタにした。
カートの形状からいくらでも詰められるので、モデルガン自体が爆裂する
こともあり、危険だった。
危険族は、平玉の火薬をほぐして粉状にしてカートの窪みにぎゅうぎゅうに
詰めていた。
いくら金属モデルガンといっても脆い亜鉛である。
限りなくデンジャラス。。。。。
有名な国内カスタムナイフメーカーのハンク石原さんも、そうしたSAAの事故で
右指を吹っ飛ばしてしまっている。

それでも、生き方としてウエスタンスタイルを貫いて、指がいくつか無く
なっても素晴らしいナイフを作り続けているのには脱帽だ。

【わが情報部 注】
火薬増量リローディングは、「よいこはぜったいにマネしてはいけません」。



<抜群の作動性と構造的な脆弱性>
現在のようにHW(ヘビーウエイト)樹脂が一般製品化される以前のプラスティック・
モデルガン黎明期のモデルは非常に軽かった。
世界で初めてプラスティック・モデルガン化されたMGCのSIGを手にした者は、あまり
の軽さに、誰もがリアリティー不足を感じたことだろう。
これは、HW樹脂が開発されるまで続いた。
しかし、製造側とて、手をこまねいていたわけではない。
プラ・オンリーの強度不足を補完して重量をかせぐためにも、亜鉛合金の土台にプラを
被せる方法が採られた。
こうしたモデルは、金属の中身にプラの衣が被せてあるので、通常「テンプラ」と
俗称された。
テンプラ・モデルはその後ずっとプラ・モデルガンのスタンダードとなり、HWS
(ハートフォード)がCMCの金型を譲り受けて自社製のSAAをリリースした1990年代に
入っても製造された。
クリックで大きくなります
WA-SAAも、生産初期から生産中止に至るまで、
構造はテンプラだった。
だが、WAのテンプラは初期型と後期型ではモナカ
のアンコと外皮の覆い面積を変えている。
上:3rdバージョン
下:1977年タイプの2ndバージョン

WA-SAAの欠点として、外皮のプラ部分に亀裂が生じることが挙げられる。
これは、発火させたりスピンさせたりしてプラに負荷を加えることをせずとも、
購入したままで箱に保管していただけでも亀裂が生じる。
一度入った亀裂は、いつの間にかどんどん広がって、見るも無残な姿になっていく。
クリックで大きくなります クリックで大きくなります クリックで大きくなります クリックで大きくなります






推定原因として、テンプラ構造のため、内部の亜鉛合金が外気温の変化に伴い伸縮
を繰り返すことに対して、内部金属に密着したプラがその引っ張り負荷に耐え切れず
にクラックを生じさせてしまうのではないだろうか。
WA-SAAのプラ外皮の一番薄い部分は1ミリの厚さを割っている程薄い。
そして、「割れ」が生じる部分はどの個体も大抵が同一部位なのだ。
あくまでも想像だが、初期バージョンから中期バージョンへの仕様変更において、
フレーム部分にプラの覆いを増やしているのは、フレーム下部の割れを防ぐ目的が
あったのではないだろうか。
最終バージョンではプラ部分を更に増やしている。
しかし、バレル内部の構造変更は難しかったのか、バレルについては中期タイプ
以降も同じ部分が割れてくる。
バレルのプラ自体が割れてきても、内部のインサートを兼ねた硬質鋼のウエイト
バランサーがバレルを支えているので、見かけ上はびくともせずかなりしっかり
している。
しかし、クラックが進行したプラ部分を放置したままで発火アクションを続けると、
プラ部分が散弾のように飛沫となって飛び散る可能性があるので、危険である。
後年開発された鉄粉入り樹脂のように、むしろ割れが生じたら直ちに形状が崩壊
してしまう方が、トイガンの素材の安全性から見た場合、好ましい材質と構造である
といえる。

また、もうひとつのWA-SAAの脆弱性として、出荷時についているグリップの割れが
挙げられる。
クリックで大きくなります




WA-SAAは、どの個体もほぼ同じ部位にクラックが入る。

これは、グリップスクリューのネジを締めていくと、プラスティックがたわんで、
その負荷に耐えられなくなって亀裂が生じることが原因のようだ。
木グリ等に換装するユーザーも多いが、よくできたオリジナルグリップのホールド
感は捨てがたい。
この不具合を解消するのは簡単だ。
要はプラスティックがネジ締め込みによってたわまないようにしてやればよい。
私はワッシャーを左右のプラグリの間にかませることで、一定程度以上のテンション
が加わってもグリップがたわまないようにした。
専用スペーサーがあればよいのだが、ハンマースプリングに干渉しないようにセット
すれば、ワッシャーで充分である。
亀裂の入ったグリップはクラック部分をV字に削り込み、内部に接着剤を流し込んで
補強しておけば、亀裂は進行しない。
クリックで大きくなります






前述したように、WA-SAAは抜群の作動性を誇る。
しかし、こうも表面がジャミラのようにヒビ割れてしまっては、その秀逸な作動性さえも
吹き飛ばしてしまう感がある。
涙なくては見られないジャミラの悲痛な嗚咽が聞こえてきそうだ。
(ジャミラとはウルトラマンシリーズの中でも特筆すべき悲劇のフランス女性
宇宙飛行士の話。涙なくして見られない)
私は発火派だが、モデルガンファンには箱に入れたまま大切に保管しておく方も多い。
保管していた大切なピースメーカーをいざ箱出ししてみたら、いつの間にか亀裂が
入っていとしたら、これはあまりにも哀しいではないか。
優秀なWA-SAAは、唯一ここだけが欠点だ。




<特別編>

このWA-SAAは何でしょう?
実は、業界では有名なK.Kという方本人が使用してたGUNです。
縁があって、私のおうちに遊びに来ました。

(画像はクリックで大きくなります)
クリックで大きくなります
細かいところに手が加えられており、一般製品の箱出し品とは大きく違います。





クリックで大きくなります
上:メインのGUN。仮にK's-1と呼びましょう。
下:サイドアーム。仮にK's-2と呼びましょう。




クリックで大きくなります 上からK's-1/K's-2/ノーマル。
K's-1にはスチールのハンマーとトリガーが装着されています。
作動性はすこぶる良好ですが、表面に例のヒビが結構入ってます。色は黒。
K's-2は少しシリンダーがオーバーランすることがあるので、調整が
必要。こちらには現在、ブルーイングされた亜鉛ハンマーと硬質金属の
シルバートリガーが装着されています。ABS表面はブルー。
不思議なことに、K's-2には亀裂がまったくどこにもありません。
そればかりでなく、表面は眩いばかりにポリッシュされています。

クリックで大きくなります
上:K's-2
下:ノーマル
ピントが甘いですが、画像から質感の違いがわかりますでしょうか?
K's-2はピッカピカです。
しかも、ハンマーをコッキングしたときの音は高音の金属音がします。



クリックで大きくなります
内部シャーシは後期型。台形の金属シャーシにプラがしっかりと
噛む構造になっていて、プラの断面積も増えてなかなか強度がありそうです。
また、K's-2は特別製かと思えるほど、金属シャーシのエッジが立っていて
プラとの接合面はぴったりとしています。
シャーシの表面もまったく荒れておらず、面一にポリッシュしたように綺麗です。

クリックで大きくなります
御大の銃はK's-1もK's-2も、プラ射出のテーパーラインが綺麗に除去処理
されています。
上:ノーマル
下:K's-2


クリックで大きくなります
K's-1もK's-2も木製グリップが装着されています。
これはK's-1の木グリの中のメダリオン。ランパント・コルトです。




クリックで大きくなります
予備のカスタム・ハンマー。
左は硬質金属のランパント入りシルバー・ハンマー。
ハンマー・ボトムはモールド・ローラーです。
右はスチールハンマー。白磨き。
こちらのハンマー・ボトムには実銃同様ローラーがついてます。


クリックで大きくなります 2丁ともシリンダーはスポスポに貫通しています。
このためWAのノーマル・カートリッヂは使えません。
発火させるにはリムでシリンダーにとまるHWSかCMC後期用が必要です。
写真は.44マグナムの実弾を装填してみたところ。
.44口径の弾がぴったりと入ります。
後ろに見えるのは、.44-40の実弾。
「西部を征服した銃」と呼ばれるウインチェスターM'73用の弾丸です。
.44-40口径(口径.44で40グレインの黒色火薬)。.44-40のピースメーカーは
ウィンチェスター・ライフルと同じ弾薬が使えるため、開拓時代の西部の
人たちに大変歓迎されました。
画像はK's-1。

クリックで大きくなります
発火用カートはこれを使います。ケースの太さは.41口径相当。
上:HWS前期型カート(CMCと全く同じ)
下:HWS後期型カート
下右:.41口径実弾。


クリックで大きくなります ファースト・ドロウ用リグ。
Gunもリグも「昔、有名なK.Kというガンマンがガンショーで使用の実物」
とのことです。
うちに来たときには経年変化でボロボロでしたので、皮革クリームと
ワックスで時間をかけて丹念にポリッシュしたら、どうにか輝きを
取り戻しました。硬度は落ちていません。


リペア前のベルトの状態。

色も剥げ落ちていたので、少し赤みのある茶のワックスで染めました。
アンダーソン・タイプのリグです。
ホルスターにはメタルライニングが内臓されていて、ホルスターの中で
シリンダーを回してハンマーをコックすることができます。
ベルトサイズは私にぴったり。
後部に18個のケースループがあります。
国内で手に入る安価なモデルガン用ガンベルトとは違い.45口径の実弾
をループに苦もなく通せます。
国内のベルトは.41〜.38口径用に作られていることが多く、一般ベルト
では.45弾を通すのはひと苦労なのです。
このベルトは実銃サイズなので楽に弾薬の出し入れができます。
ベルトの裏側はスエード張りになっており、装着したときにずれにくい
ようになっています。

クリックで大きくなります 革も厚くて、とてもしっかりしたフィット感のある作りです。
メタルライニングのため、抜き差しはスムーズ。
ベルトループには.45ロングコルトの実弾ダミーを入れました。
ベルトの裏には数字と、マジックで書かれたT.Korenagaの筆記体
のサイン跡がうっすらと読みとれます。「78.10」の数字は年記で
しょうか。
1978年10月は現在(2006年)から28年前になります。
コレナガとは、埼玉県草加にあったSAAチューナーショップ、
コレナガ・アームズの代表是永武雄氏のことだと思います。
草加の本店は1973年にオープン、1978年9月には足立区興野2丁目に店舗を
出しています。
是永氏は独立する前は根本忠氏と共にアメ横の中田商店に長くいらした
方で、78年当時は全日本ファスト・ドロウ協会の東日本本部長でした。

1977年5月のファースト・ドロウ大会
での是永氏。この時、37歳である。
上体をのけぞらせないマーク・リード・
スタイルのフォームに注目。
実弾シューターのフォームだ。


ミスターSAAと呼んでも過言ではない日本を代表するシューター。
若き日のK.K=国本圭一氏の実弾でのクイック・ドロウ。
シングルアクションリボルバーでの早撃ちはあらゆる拳銃射撃の
中で最も早い。
西部開拓時代から行われてきた早撃ちはアメリカの武道ともいえる。
一般射撃が剣術ならば、クイック・ドロウは居合だ。
国本氏は、後年、某モデルガンメーカーが実銃を採寸しようと
したところ状態のよいSAAがなくて困っていることを知り、斯界の
ために自分の実銃SAA-2nd.GenerationをSAAモデルガンの型起こし
採寸用に提供することを引き受けている。
マニアックなエゴに走らず、SAAそのものを心から愛していないと
できないことである。
国本氏の実銃SAAから採寸されたモデルガンは、2000年前後、
某メーカーから高級モデルガンとして発売された。
そのモデルは予約段階で売り切れてしまい、なかなか手に入らず、
現在でもSAAファン垂涎のモデルとなっている。
国本氏のシュートフォームはマーク・リードのフォームによく
似ている。
ブランク撃ちで早く抜くためにカッコつけたものでなく、実弾
シューターのみが持ち得る「用の美」を備えている。
不必要なものは一切省かれて研ぎ澄まされたそのフォームは
美しく、そして理にかなっている。


実銃SAAでのクイックドロウシュートを行う国本氏。
実弾射撃のドロウでは、上体はのけぞらせない。



1981年当時の国本圭一氏のWA-SAAモデルガン。
すべてファースト・ドロウ用に高度なチューン
ナップが施されている。



<ファースト・ドロウ>(執筆中)
K's-1の表面のヒビをすべて接着パテで補修した。
千切れかけているフォーシング・コーンも補修。
こちらは金属コーンを被せた方がいいかも知れない。

さらに、使用による磨耗で内部パーツに生じていたバリをすべて除去した。

ハンマーの錆を刀剣用砥石とサンドペーパーですべて除去。
ロストワックス(鋳造)製なのでスパー部分に細かい「ス」が見られる。
材料としては、マルテンサイト鋼の削り出した物を熱処理した
ハンマーの方が優れているだろう。
ロストワックスは錆にも弱いので、白磨きよりもブルーイングした方が
無難かも知れない。
スチールとはいえ昔の資料を見ると、SAA用はハイテン鋼といってもS45Cなので
あまりブリネル硬度の靭性は期待できない。
上に掲げた六研の広告写真を拡大してもらえばわかるが、六研のスチールハンマー
はS45Cのロストワックスだ。
S45CとはJIS規格による機械構造用炭素鋼のうち炭素含有量が0.45%の炭素鋼をいう。
いずれにせよ、国内モデルガンでいわゆる「スチールパーツ」と呼ばれる物は、
S45Cを多用しているので、靭性と耐食性(耐出錆性)において問題が残る。
航空機のタービン軸に使われていた154CMや工具などに使われているハイス鋼、
もしくは実銃と同じ材質が最適だろうと思うが、モデルガンであるから、あまり
強度のある素材を使えないといったところか。


さて、グリップは私の手に合わない部分があるので、部分的に削り込んだ。
(某氏の使用品だからと飾って眺めて保存のみということは私はしません。
 これは刀でもそう。
 私は先祖の差し料を研ぎ師に依頼して化粧研ぎながら「使える」状態に
 してあるように、また、天正18年紀の銘のある刀でも居合に使っているように、
 私は「使い」ます。手入れは怠らずに。
 きっとアメリカに住んでいて実銃のSAAを所有していたら、アンティークで
 危険性がない限りはいつでも射撃ができるようにしておいて、実際に射撃
 するでしょう。)

さて、某氏のガンベルトはこんな感じ。
経年変化で革がボロボロだったので、かなり時間をかけてオイルアップした。
表面の色は手元に届いたときとまったく違う状態。
このリグにてK's-1をドロウしてみた。
<動画ファイル>
タイムは****秒。

こちらは自分なりにチューンしていた私のWA-SAAでのドロウ。
<動画ファイル>
タイムは****秒。


0000000000000000000000



<〜〜 エピローグ 〜〜  未来のプロローグへ>
クリックで大きくなります








00000000000






(Jun,**.2006:by 元木正太)
※このページの本文は、2006年**月**日に作成してWeb上にアップしたテキストです。
補筆:2006年**月**日


ガンモ所有のトイガン